女優としてさまざまなドラマや映画で大活躍している深津絵里さん。
2022年の朝ドラで久しぶりに連ドラ復帰となり話題になっています。
今回はそんな深津絵里さんの子役時代やデビューのきっかけなどについて調べてみました。
深津絵里の子役時代の目力がすごいと話題!
深津絵里さんは1973年1月11日生まれで、2022年2月現在49歳になります。
所属は有名女優や人気タレントが多く所属している『アミューズ』です。
(アミューズ)
そんな深津絵里さんですが、2022年2月10日の『週刊文春』で、芸能界入りに携わった女性からこんなデビュー秘話が出たようです。
「以前勤めていたレコード会社の人に、大分から誰かいないかと言われ、音楽関係の教室に携わる知人に聞いたら、『一人、眼力が半端じゃない子がいる』と」(週刊文春)
なんと深津絵里さんは「目力」が話題になって関係者に見初められたようです。
その後15歳で子役デビュー。
デビューのきっかけやデビュー作などについては後ほどくわしく書いていきますが、ここでは子役時代(当時15歳)の深津絵里さんの目力がよくわかる画像を紹介していきたいと思います。
(アニプレックス)
こちらはデビュー作『1999年の夏休み』の深津絵里さん。
とても意志の強そうな目をしていますね。
キリッとした二重が素敵です。
黒目も大きいため、目力がとても強い印象ですね。
そしてこちらは1988年文化放送の公開録音の時の深津絵里さん。
(http://idol20.blog.jp/archives/3563882.html)
やはり目がとても印象的です。
まだ頬がふっくらしていて、かわいらしい印象もあります。
今でも目力がある深津絵里さんですが、
(報知新聞社)
子役時代から魅力的な目をしていたことが分かりますね。
深津絵里の実家は大分でデビューのきっかけは?
深津絵里の実家
深津絵里さんの生まれは大分県別府市。
深津は1973年、大分県別府市の生まれ。その後、大分市郊外の新興団地で育った。(週刊文春)
深津絵里さんはデビュー当時、雑誌のインタビューで「大分市立稙田(わさだ)西中学校」に通っていたと発言していたそう。
大分市立稙田西中学校の学区内には
・富士見が丘団地(入居開始1972年)
・緑が丘団地(入居開始1980年)
・寿団地(入居開始1971年)
といった大きな団地があるため、そのどこかに住んでいた可能性が高いですね。
深津絵里のデビューのきっかけ
深津絵里さんのデビューのきっかけは、1986年『原宿音楽祭』で開催された『ミス原宿グランプリ』で優勝したことからでした。
先述した「深津絵里さんのデビューに携わった女性」というのは、このコンテストの関係者だったようです。
1988年10月17日発行の『オリコンウィークリー』では、深津絵里さん本人もデビューのきっかけについて語っていました。
(オリコンウィークリー)
うちの母の知り合いの知り合いの方がミス原宿の関係の方で、”まだ人数余裕あるから良かったら出ませんか”っていう風に言われて、それで…ま、東京にも行けるし(笑)。軽い気持ちで出したのが優勝という感じで。(オリコンウィークリー)
ただ単に「東京に行けるから」という理由でコンテストを受けた深津絵里さん。
深津絵里さん自身は芸能界デビューする気はそれほど強くなかったのかもしれません。
しかし先述した通り、誘った側はすでに「眼力がすごい」と深津絵里さんに注目していたみたいですね。
深津絵里のデビュー作や芸名の変遷は?
深津絵里さんのデビュー作は1988年3月26日に公開された映画『1999年の夏休み』になります。
この映画は『ポーの一族』などを描いた人気漫画家「萩尾望都」さんの作品『トーマの心臓』を翻案としたものでした。
出演者は4人のみで、さらに深津絵里さん含む4人の女優は少年役を演じるという、なんとも挑戦的な作品だったようです。
(アニプレックス)
どの女優さんも見事に違和感なく美少年になっていますね。
そしてこの時の深津絵里さんの芸名は「水原里絵」という名前でした。
(アニプレックス)
気になってさらに深津絵里さんの芸名について調べてみると、なんと昔は3つも芸名があったようです。
深津絵里の芸名① 水原里絵
先述した通り、デビュー作の映画『1999年の夏休み』には「水原里絵」という芸名で出演していました。
そして1988年10月29日に公開された『ステイ・ゴールド』にも水原里絵名義で出演していたようですね。
(Softgarage)
水原里絵という芸名で活動したのはこの2作品のみのよう。
子役時代の深津絵里さんを観られる貴重な初期作ですね。
深津絵里の芸名② 高原里絵
1人2役アイドルデビュー
その後、1988年10月21日に今度は「高原里絵」という名前でアイドル歌手デビューしました。
(ビクター)
少しややこしいのですが、この時に「高原里絵」名義と「深津絵里」名義で、「1人2役アイドル」として同日デビューしたようなのです。
高原里絵名義では『マリオネット・ブルー』という大人っぽくてしっとりした曲を、そして深津絵里名義では『YOKOHAMAジョーク』という元気で明るい曲を歌っていたようですね。
(Twitter)
レコードも別々に発売したため、当時は「高原里絵」と「深津絵里」を別人だと思っていたファンもいたようです。
深津絵里&高原里絵。今と違いボーイッシュだったデビュー当時、この2人は別人だと思ってました^_^;戦略にまんまと騙されてました。(Twitter)
深津絵里さんにもこんな下積み時代があったんですね。
JR東海の超人気CMに出演
深津絵里さんが一躍有名になったJR東海のCM『ホームタウン・エクスプレス クリスマス編』。
この時も、実はまだ高原里絵名義で活動していました。
(JR東海)
当時15歳だった深津絵里さんが、背伸びした真っ赤な口紅をつけて、遠距離恋愛中の恋人を待つ、という思春期の憧れを詰め込んだような内容でとても話題になりました。
(JR東海)
いまだにSNSなどでもトレンドにあがったりするCMなので、見たことがある方も多いのではないでしょうか。
初主演映画公開
また、深津絵里さんは1989年4月8日公開の映画『満月のくちづけ』で単独初主演を務めたのですが、その時の役の名前が「高原里絵」でした。
当時の芸名を役名にして単独主演をやらせるとは、深津絵里さんへの事務所の期待がとても大きかったのが分かりますね。
(玄光社)
さらにこの映画で深津絵里さんは
・1989年 『ローマ国際ファンタスティック映画祭』で最優秀主演女優賞
・1990年 『第13回日本アカデミー賞』で新人俳優賞
を受賞しています。
深津絵里の芸名③ 深津絵里
「深津絵里」名義を使い始めたのはアイドルデビューの時でしたが、混乱を防ぐためその後「深津絵里」に芸名を統一したようです。
たしかに芸名を2つ使って、別人として活動するとなると、ファンもどうやって応援したらいいのか分からなくなりますよね。
そしてこの「深津絵里」というのはまさしく深津絵里さんの本名です。
その後ドラマや映画などに多数出演するようになり、歌手としても1992年ごろまで活動を続けていた深津絵里さん。
(テレビ朝日)
1989年6月16日と同年12月8日には、歌手としてテレビ朝日の人気音楽番組『ミュージックステーション』にも出演しています。
また、女優としては1997年1月7日から始まった大人気ドラマ、『踊る大捜査線』のメインキャストとして、同シリーズのドラマと映画に出演し人気を博しました。
(シネマトゥデイ)
そして今では全世代に知られる人気女優となったのです。
こうして調べてみると、深津絵里さんにも子役時代やアイドル時代があって驚きました。
しかし昔から変わらず独特な雰囲気があってとても素敵な方ですよね。
(LEE)
そんな深津絵里さんの今後の活躍にも注目です。
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