かつてテレビでは見かけない日がないほど活躍していた山田邦子さん。
好きなタレントランキングもずっと1位をキープしていましたが、ある時を境に冠番組がなくなり、テレビでみかけることがグッと少なくなりました。
そんな山田邦子さんがテレビに出なくなった理由は何なのか?干された?などわかりやすくまとめました。
山田邦子の若い頃がすごい① 数々の冠番組
1960年6月13日生まれで2022年で62歳になる山田邦子さん。
川村高等学校1年生の時に「TVジョッキー」に出演したのを手始めに、「タモリの突撃ナマ放送」で5週勝ち抜きするなど、素人時代から数々のテレビ番組に出演する有名な存在だったのだとか。
その後「笑ってる場合ですよ」の「お笑い君こそスターだ!」でバスガイドのネタを披露してチャンピオンとなり、1981年、21歳の時に「邦子のかわい子ぶりっ子」でレコードデビューを果たし、芸能界入りしています。
その後「オレたちひょうきん族」で女性芸人として唯一出演当初からコーナーを持たせてもらうなど、注目を浴びていた山田邦子さん。
1988年から1995年まで「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」「邦子がタッチ」など数々の冠番組を持つようになり、1988年から1995年まで好きなタレント調査で8年連続で1位を獲得するなど、絶大な人気を誇りました。
「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」から誕生したWinkとのパロディユニット「やまだかつてないWink」の「さよならだけどさよならじゃない」も大ヒットしましたね。
さらに1990年には「あっかんベーゼ」で小説家デビューを果たし、1991年に出版した「結婚式」は40万部を超えるベストセラーに。
「私の何がイケないの?」に出演した際、一番忙しかった時はなんと月収が1億円を超えていたことを明かし、話題となりました。
年収ではなく月収が1億円超えですから、年間にしたらいったいいくらもらっていたのか、驚きますね。
しかしあまりに忙しすぎて寝る暇もなかったことから、一時は疲労とストレスで死の衝動に襲われ、警察に悩みを相談したこともあったのだとか。
当時の山田邦子さんの人気のほどやストレスがいかに過剰なものだったのか、想像を絶します。
山田邦子の若い頃がすごい② 借金が22億円を返済
多い時には最高月収が1億円にものぼっていたという山田邦子さん。
あまりにも収入が高く、税金もかなりの額になるため、山田邦子さんが29歳くらいの時に家族が節税対策の子会社を作ったのだとか。
その会社が不動産を始めたために山田邦子さんが稼いだお金は全て投資にまわされてしまい、会社の借金はどんどん大きくなったといいます。
最終的には山田邦子さんが懇願して会社を解散したものの、残った借金はなんと22億円。
想像を絶する金額ですが、なんと2年で返済したといいますから、どれほど山田邦子さんが稼いでいたのかが伺えます。
山田邦子がテレビにでない干された理由① スタッフとのトラブル
1989年から放送され、最高視聴率20.4%を獲得するなど、大人気番組だった「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」。
この番組をきっかけにKANさんの「愛は勝つ」が大ヒットするなど、影響力があり、安定した視聴率が取れる番組として君臨していました。
しかし高視聴率をキープしていたにも関わらず1992年春の改編をもって番組が突然終了。
表向きの理由はフジテレビの鹿内宏明会長の指示の下、ゴールデンタイムの音楽番組の復活を狙ったもの、と言われていますが、実際の理由は違うといいます。
実は「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の番組スタッフが頻繁に番組レギュラーを変更することに山田邦子さんが疑問を持ち、「一緒に頑張ってきたメンバーを簡単に降板させるのはおかしい」と意見し、山田邦子さんご自身も降板を申し出たことが原因だった、という情報が。
山田邦子さんの仲間への思いやりの気持ちが伺えますね。
総合司会の山田邦子さんが番組を降りるといえば意見が通ると思ったのでしょうが、そのまま降板することになってしまうとは。
そもそも以前から山田邦子さんと番組スタッフがあまりうまくいっていなかったという可能性もありますね。
山田邦子がテレビにでない干された理由② 視聴率の低迷
ゴールデンタイムに冠番組を持つなど女性で唯一天下を取ったお笑いタレントと言われるほどに活躍していた山田邦子さん。
TBSで1995年4月3日からお昼の帯番組としてスタートした「山田邦子のしあわせにしてよ」のメイン司会に就任しました。
司会が山田邦子さん、企画演出が秋元康さんという大物タッグという触れ込みで大々的にスタートしたこの番組。
山田邦子さんは記者会見で
自分が結婚するまで番組を続ける
と意気込みを語っていたほどでした。
しかし裏番組が「午後は◯◯おもいッきりテレビ」「笑っていいとも!」などの人気番組だったこともあり、視聴率が低迷。
結局山田邦子さんが結婚する前の1997年3月28日にたった2年で打ち切られてしまったのです。
裏番組が強すぎたことも当然ながら、山田邦子さんの露出が多すぎたことも一因では?と言われていた「山田邦子のしあわせにしてよ」の低視聴率。
期待が大きすぎたことの反動か、この頃から山田邦子さんへのバッシング報道が出始めたのです。
「やまだかつてないテレビ」ではフジテレビを、「山田邦子のしあわせにしてよ」ではTBSという大手メディアの2つの期待を裏切ってしまったことで、ある意味梯子が外されてしまったのかもしれません。
山田邦子がテレビにでない干された理由③ ミスキャスト
1995年には大河ドラマ「八代将軍吉宗」に出演した山田邦子さん。
徳川吉宗の母・浄円院を演じました。
浄円院は農民の出という説があったため庶民的なタレントとして人気のあった山田邦子さんがキャスティングされたのです。
しかし視聴者から「違和感がある」という反応が多かったためにバッシングの対象に。
あまりにもバラエティに多く出演していたことで、大河ドラマの真面目な演技に違和感を持つ方もいたのでしょう。
とはいえもしキャスティングがあっていなかったとしてもそれは山田邦子さんの責任というよりは番組制作サイドの問題という気も。
一度バッシングが始まってしまうとささいなことで炎上してしまうという典型例かもしれません。
山田邦子がテレビにでない干された理由④ 不倫報道
徐々にバッシング報道が多くなっていた山田邦子さん。
決定的になったのが、1995年に後の夫となる後藤史郎さんとの交際が週刊誌で報じられたことでした。
後藤史郎さんは「ゴッズダイナミックワールド」というテレビ制作会社を経営している実業家。
普通なら大人同士何の問題もない交際報道ですが、後藤史郎さんには当時妻と娘がおり、いわば不倫の関係だったことが主婦層の反感を買うことに。
山田邦子さんと後藤史郎さんは5年間の交際、同棲を経て2000年に結婚をしましたが、挙式当日に後藤史郎さんの高校生の娘が自殺未遂をした、という情報もあり、さらにイメージダウンし、バッシングの対象となってしまったのです。
あまりにも好感度が高かったからこそ、不倫というイメージとの落差が激しく、注目を集めたためにマスコミの格好の餌食になってしまったのかもしれません。
山田邦子がテレビにでない干された理由⑤ 井上公造への暴言
前述した後藤史郎さんとの不倫が発覚し、マスコミから執拗に追われるようになった山田邦子さん。
そのマスコミの中の一人だった井上公造さんがインタビューをした際、
お前モテないだろう
バカじゃないの
と発言。
その暴言部分を繰り返しワイドショーで報道され、さらに視聴者から反感を買うことになってしまいました。
そうして1995年まで1位だった山田邦子さんの好感度も1997年には14位まで急落し、冠番組も全滅。
テレビへの出演が激減してしまったのです。
山田邦子がテレビにでない干された理由⑥ 乳がん
山田邦子さんは2007年、47歳の時に出演した「最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学 スペシャル」という番組内で検診を受けた際に違和感を覚え、乳がんが発覚しています。
左右の乳房に3つのがんが見つかり、2度の摘出手術を受けたという山田邦子さん。
その時からタレント活動の傍ら、がんに対する知識と理解を呼びかける「スター混声合唱団」を結成し、活動を続けています。
乳がんが発覚した時には既に全盛期よりもだいぶメディアへの露出は減っていたので乳がんが原因でテレビに出なくなった、とは考えにくいかもしれませんが、メディア出演を減らす一因とはなっていたかもしれません。
テレビへの露出が減って時間ができたことで、それまで忙しすぎてできなかった舞台の仕事や習い事を始めたという山田邦子さん。
2019年6月30日には太田プロダクションとの契約を終了し、2020年からは「山田邦子 クニチャンネル」を開設し、YouTuberとしても活動しています。
2022年のM1グランプリの審査員にも選出されるなど、再び注目を集めている山田邦子さん。
今後のご活躍にも注目です。
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