メディアで数々の貧乏エピソードを披露している風間トオルさん。
その貧乏エピソードの裏には壮絶な生い立ちがあったようです。
風間トオルさんの生い立ちや家族構成、貧乏エピソードも含めて詳しく調査しました。
風間トオルの壮絶な生い立ちと家族構成
1962年8月19日に神奈川県川崎市で生まれた風間トオルさん。
1980年代には「メンズノンノ」をはじめ、数々の雑誌を務め、モデルとして活躍していました。
そんな風間トオルさんは2016年3月20日に出版した「ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力」でご自身の生い立ちについて明かしています。
ここから先は「ビンボー魂 おばあちゃんが遺してくれた生き抜く力」に書かれていた内容を元に風間トオルさんの生い立ちをご紹介します。
家族構成と母親との別れ
風間トオルさんは幼い頃は祖父、祖母、父親、母親の5人で暮らしていました。
しかし風間トオルさんが5歳の頃、母親に多摩川に連れて行かれ、ある男性を紹介されたのだとか。
その男性は母親と同じ工場で働いていた人物で、母親は父親と別れてその男性と一緒になることを決心する中、風間トオルさんも連れて行くか悩んでいたようです。
幼い風間トオルさんは悩んだ末に父親と一緒に暮らすことを決意。
その後母親は家を出て行ってしまったのだとか。
風間トオルさんは母親がいない寂しさを感じる度に、
僕はお母さんに捨てられたわけじゃない、僕がお母さんを選ばなかっただけだ
と考えて心を落ち着かせていたといいます。
5歳の時に既に大きな決断をしていたのですね。
父親との別れ
母親が家を出ていってしまった風間家。
なんと程なくして父親も家を出て行ってしまったのだとか。
父親は母親と別れた後に別の女性との交際を始めたものの、その女性が祖父母や連れ子である風間トオルさんと同じ家に暮らすことに難色を示したため、結局出て行ってしまったといいます。
当時ご両親もまだ20代だったということで、遊びたい気持ちもあったのかもしれません。
たった5歳で両親がいなくなってしまった風間トオルさん。
しかし何事もなかったように飄々としていた祖父母のお陰で両親がいなくなった後も明るく過ごすことができたと綴っていました。
認知症の祖父
稼ぎ頭の父親がいなくなったことで、古くて狭いアパートに引っ越すこととなった風間トオルさん。
6畳一間の家に年金暮らしの祖父母と暮らしていたといいます。
しかし風間トオルさんが小学校2年生位の時から祖父に認知症の症状が。
そうして認知症を発症した祖父は、裸で近所の家の塀に自分の便を塗りたくる、という奇行を繰り返すようになってしまったのだとか。
さらに祖父は家のアパートの壁にも便を塗りたくるようになり、風間トオルさんがその後片づけも行っていたといいます。
小学生の風間トオルさんがたった一人でおじいちゃんの下の世話までしていたとは。。。
なんとも想像を絶する話です。
祖母はパチンコへ
祖父母と一緒に住んでいたはずなのになぜ祖母は出てこないのか?と不思議に思った方も多いでしょう。
なんと風間トオルさんの祖母は生活費を稼ぐために日中はずっとパチンコに行っていたのだとか。
※イメージ
貴重な年金をパチンコに注ぎ込むとはギャンブルすぎて恐ろしい気もしますが、祖母にとってはそれしか考えられなかったのかもしれません。
祖母がパチンコに大きく勝った時は天丼を食べることが暗黙のルールで、当時の風間トオルさんにとって唯一の楽しみだったのだとか。
そんな祖母も風間トオルさんのモデル時代に亡くなり、天涯孤独になったのかと思いきや、父親とは現在もやりとりをしているといいます。
しかし母親とは連絡をとっていないとのこと。
今後関係が回復するといいのですが・・・。
風間トオルの貧乏話・エピソード10選!
明石家さんまさんの「コンプレっくす杯」で「キングオブ貧乏」「貧乏レジェンド」と認定された風間トオルさん。
その貧乏エピソードを見ていきましょう。
貧乏話・エピソード① 6畳一間のアパート
前述した通り、風間トオルさんは両親がいなくなった後に古いアパートに引っ越し、祖父母の年金で暮らしていました。
そのアパートは6畳一間で家具はタンスとこたつ、仏壇とテレビだけしかなく、冷暖房もなかったのだとか。
さらに建て付けが悪い窓からは隙間風が入るため、夏は蒸し暑く、冬は寒くて眠れなかったといいます。
さらに電気代を止められてしまうことも多く、風間トオルさんはアパートの近くにある街灯で宿題をしていたのだとか。
真っ暗闇の中でも挫けずに勉強をしていたとは、すごいですね。
貧乏話・エピソード② 洗濯機のお風呂
古いアパートには当然お風呂もなく、銭湯にも行けないこともよくあったという少年時代。
風間トオルさんは屋外にある洗濯機の中に固形石鹸を持って服を着たまま入り、スイッチを入れて自分ごと洗濯をしていたのだとか。
※イメージ
底の部分に足をつけると危ないので側面に足を突っ張らせて忍者のように体ごと洗濯していたといいます。
昔の洗濯機は今と違って蓋を開けたままでも動いたのかもしれませんが、相当危ないですよね。
それでも子供にとっては楽しい時間だったのかもしれません。
貧乏話・エピソード③ 体操着を・・・
風間トオルさんが通っていた小学校は、学年ごとに体操着の首周りの色が指定されていました。
しかし体操着を買ってもらえなかった風間トオルさんは、普段着ているTシャツを裏返して首周りに油性マジックで色を塗る、というアイデアを実践していたのだとか。
※イメージ
さらに洋服も一年中半袖半ズボンに裸足で過ごしていたとのこと。
かなり野生的で工夫いっぱいの日々を暮らしていたのですね。
貧乏話・エピソード④ 岩盤浴
冷暖房の無い家で暮らしていた風間トオルさんにとって、冬の寒さは悩ましい問題でした。
特に冬でも半袖半ズボンで過ごしていたといいますから尚更でしょう。
そんな幼い日の風間トオルさんは石を擦ってカイロにしたり、日当たりの良い豪邸の石の外壁に体を押し付けて岩盤浴をして暖を取っていたのだとか。
風間トオルさんの頭の中には「近所の暖かい場所マップ」があったということで、楽しみながら暖まっていたのですね。
なんともいじましい光景です。
貧乏話・エピソード⑤ 驚きの治療法
風間トオルさんが子供の時、蚊取り線香を立てる器具を踏んでしまい、足の裏から表まで貫通してしまう事故があったのだとか。
想像しただけで寒気がするほどの事故ですが、風間トオルさんは泣くこともせず、患部にツバをつけてガムテープを巻いて応急処置をしたといいます。
※イメージ
その後も刃物で骨がでるほど指を切った時も病院に行かず患部にツバを塗り、ガムテープで巻いて腕を高くして寝たら翌日には治っていたというエピソードも。
どんな傷でもツバで治してしまうとは驚きの自然治癒力です。
貧乏話・エピソード⑥
なんでもツバで治していた風間トオルさんですが、さすがに虫歯までは唾液で治すことはできませんでした。
一度歯医者に行ったところかなり高額な治療費を請求され、その後はペンチで虫歯を抜くようになったのだとか。
その時の代償としてモデル時代には歯の治療に家一軒分くらいかけたという風間トオルさん。
家一軒分くらいというくらいですから数千万円はかかったということでしょう。
それでもモデルになれたのはすごいですね。
貧乏話・エピソード⑦ バレンタインデー
小学生の時には多い時には30個以上もチョコレートをもらうことがあったという風間トオルさん。
貧乏だったために当時の写真はほとんどないといいますが、相当モテたのでしょう。
しかしチョコレートを持ってきた女子達に古い家に住んでいることをバレたくなくて家の中で息を潜めていたのだとか。
そうしてもらったチョコレートを365日分に分割して大事なエネルギー源として毎日食べていたといいます。
風間トオルさんにとってバレンタインのチョコレートは愛の告白というよりは生きるためのエネルギー源として大事なものだったのですね。
しかしそんなにたくさんのチョコレートをもらってホワイトデーはどうしたのか?と気になるところ。
なんと風間トオルさんは公園で拾った松ぼっくりを白く塗ってネックレスなどにしてお返しをしたそうです。
女の子達は喜んでいたといいますが、本心はどうだったのでしょうか。。。
貧乏話・エピソード⑧ アサガオやカマキリを・・
学校で食べる給食が唯一の栄養源だった風間トオルさん。
しかし給食だけではお腹が満たされず、いつもお腹を空かせていたのだとか。
そうしてお腹を空かせた風間トオルさんは公園のアサガオや雑草を食べて飢えをしのぐように。
※イメージ
そこから土や砂など外にあるもので何が食べられるか?と実験しながらさまざまなものを口に入れるようになったといいます。
そうしてカマキリの足まで食べてみたという風間トオルさん。
また炎天下の石ころは焼きおにぎりのような味がした、と語っていました。
良い子は真似しないようにしましょう。
貧乏話・エピソード⑨ 川崎市から表彰
給食だけが栄養源の風間トオルさんにとって、給食のない夏休みや冬休みなどの長期休みは地獄だったといいます。
しかしある日友人の家に遊びにいくと、流れで夕食をご馳走になることができたのだとか。
そこで風間トオルさんは夏休み中の食事を確保するためにその友人と一緒に自由研究で多摩川の水質検査をすることを思いつきます。
自由研究をしている間はお腹を空いたら草を食べ、喉が渇いたらTシャツで濾して水を飲み、夕方には友人の家で夕飯をご馳走になる、という算段だったのですね。
そんな夏休みを過ごしたところ、なんと自由研究の内容が川崎市から表彰されたのだとか。
まさか川崎市の方も風間トオルさんが飢えを凌ぐためにそんな研究をしたとは思わなかったことでしょう。
貧乏話・エピソード⑩ 視力が3.0の理由
中学校に入ると頼みの綱の給食が無くなり、お弁当も持たせてもらえなかったので風間トオルさんはランチタイムは校庭で草を食べたりして過ごしていたのだとか。
そうして自然の中で空や遠くばかり眺めて過ごしていた風間トオルさんの視力はなんと3.0もあるといいます。
芸能人になってアフリカのロケに行った際は、現地のコーディネーターよりも先にキリンを見つけて驚かれたのだとか。
今のようにスマホもない時代ですから、ずっと遠くをみて過ごしていたのですね。
これらのエピソード以外にも風間トオルさんの初恋エピソードや人生哲学が詰まった「ビンボー魂」。
ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
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