昭和の名優・渡哲也さんが、8月10日に肺炎のため都内病院で亡くなりました。
78歳でした。
葬儀は14日に妻俊子さんが喪主となって家族葬を行ったとのこと。
妻の俊子さんとはどんな方なのか?
顔画像や馴れ初め、結婚目前だったと言われる吉永小百合さんとの関係や破局理由などをまとめます。
渡哲也の嫁・俊子の顔画像!馴れ初めは?
馴れ初めは?
渡哲也さんと妻・俊子さんは、1971年に結婚しています。
二人は青山学院大学の同級生で、大恋愛の末に結ばれたのだとか。
挙式はハワイで極秘で行ったそうです。
俊子さんは一般人なので、プライベートを考慮したのでしょう。
これまで妻俊子さんについてはあまり公になっていませんでしたが、若い頃から数々の病気をしてきた渡哲也さんを献身的にサポートし続けてきたといいます。
数々の病気を献身的に支えた
渡哲也さんは、病魔とケガと戦い続けた俳優道でした。
こちらは、1974年1月に主演を務めた大河ドラマ「勝海舟」の撮影中に肋膜炎と急性肝炎を発症し、9ヶ月間の入院生活を余儀なくされていた時の画像です。
(スポニチ)
妻の俊子さんの手元には「大入袋」が見えますが、結局「勝海舟」は降板となりました。
9ヶ月も入院生活を続けたということで、渡さんだけでなく、妻の俊子さんも大変だったのではないでしょうか。
渡哲也さんは俊子さんの笑顔に癒されていたことでしょう。
渡哲也さんの病気、ケガ歴は以下の通り
・1972年 葉間肋膜炎(3ヶ月の休養)
・1974年 肋膜炎、急性肝炎(9ヶ月入院)
・1975年 膠原病(4ヶ月入院)
・1989年 ロケ中にヘリから飛び降りて左足腓腹筋断裂(全治1ヶ月半)
・1991年 直腸がんを公表、人工肛門に
・2004年 肺炎
・2015年 急性心筋梗塞
そのほかにも、持病の肺気腫やぜんそくもあったとか。
ものすこい波乱万丈の人生ですね!
これだけの病魔と戦った渡哲也さんと、それを支えた俊子夫人。
想像を絶する辛大変さだっだのではないでしょうか。
渡哲也と吉永小百合が結婚目前で破局した理由は?
運命の共演
そんな渡哲也さんですが、実は俊子さんと結婚する前に、あの吉永小百合さんと結婚目前のお付き合いをしてたことがあったのだとか!
渡哲也さんと吉永小百合さんは、1966年に映画「愛と死の記録」で運命の共演をしています。
もともとは浜田光夫さんが主役の予定だったのが、浜田さんが目を負傷したため、急遽渡哲也さんがピンチヒッターに選ばれたのです。
青学出身の空手黒帯有段者のイケメンである渡哲也さんと、骨太で男気のある男性が好きだという吉永小百合さんは意気投合。
その後二人は1967年に共演した「青春の海」で恋に落ち、
1969年の「嵐の勇者たち」で共演した頃には結婚を真剣に考えていたのだとか。
渡哲也さんは吉永小百合さん家にも出入りするほどの仲となっており、両親にも紹介をしていたようです。
両親の大反対
しかし、吉永小百合さんのマネージャーをしていた父親が「交際はいいが結婚はダメ」、母親が「結婚したら相手を絶対に許さない」と猛反対したそうです。
渡哲也さんは「なんで俺のところに飛び込んできてくれないんだ」と嘆いては、吉永小百合さんに電話をして結婚を迫ったのだとか。
しかし、両親を説得できなかった吉永小百合さんは、渡哲也さんに直接会って
「あなたとは結婚できません」と伝え破局を迎えます。
その後、渡哲也さんと俊子さんの結婚が報じられると
「悔いがある」と言って泣き通しだったのだとか。
まるで映画のような恋愛ストーリーですね。
渡哲也さんが吉永小百合さんと結婚していたらどうなっていたか?とも想像してしまいますが、俊子さんだからこそ、渡哲也さんの病気を献身的に支えることができたのだろう、とも思います。
過去を乗り越えて共演
渡哲也さんと吉永小百合さんは、1998年から宝酒造「松竹梅」のCMで初共演し、2019年まで10回以上も共演しています。
(サンスポ)
大恋愛をした元カノ、元彼とのCM共演ということで、気まずさはなかったのでしょうか。
お互いいい家庭を築いているということで、吹っ切れていたのかもしれません。
【顔画像】渡哲也と嫁俊子は青学の同級生!吉永小百合と結婚目前で破局した理由は?まとめ
渡哲也さんと奥様の俊子さんとの馴れ初めや、吉永小百合さんとの関係についてまとめました。
奥様の俊子さんも、吉永小百合さんも、渡哲也さんが亡くなって悲しみに包まれていることでしょう。
渡哲也さんのご冥福をお祈りいたします。