アートディレクターやアーティストとして活躍する増田セバスチャンさん。
原宿の「カワイイ」カルチャーを広げた第一人者です。
そんな増田セバスチャンさんの本名は、ひろしだという噂も。
そこで今回は、増田セバスチャンさんの本名をはじめ、壮絶な生い立ちや嫁、子供などについても詳しく調査しました。
増田セバスチャンの本名や年齢は?
本名は?
カワイイを発信し続ける、増田セバスチャンさん。
(https://www.walkerplus.com/)
名前だけ見るとハーフなのかと思ってしまいますよね。
しかし、千葉県松戸市の出身であることを公表していることからハーフではなく日本人である可能性が高いでしょう。
実は本名は「ひろし」なのでは?という噂も。
それには、2011年に刊行された増田セバスチャンさんの自伝「家系図カッター」が関係していました。
増田セバスチャンさんは、Twitterで、
(https://ddnavi.com/)
「家系図カッター」の中で、大阪という土地は、ひろし少年が社会と現実のギャップに直面して、一人苦しむ、いわくつき(笑)の土地です。
と自伝について綴っていました。
「ひろし少年」というのが、増田セバスチャンさんであることが伺えます。
このことから本名は、増田ひろしさんである可能性が高いでしょう。
年齢は?
増田セバスチャンさんは、1970年8月7日生まれで、2023年で53歳を迎えました。
(https://book.asahi.com/)
さすが、カワイイを発信している方だけあって、53歳には見えずとても若々しく華やかな印象ですよね。
増田セバスチャンの生い立ちが壮絶?
呉服屋の息子で難聴だった?
実は、壮絶な生い立ちを送っているという増田セバスチャンさん。
千葉県松戸市で呉服屋の息子として誕生したといいます。
2020年9月11日の「好書好日」には、
(https://www.shibukei.com/)
商店街にある呉服屋の息子として生まれたので、色とりどりの着物だったり、お祭りの風景だったりが身近だった。
と掲載されていました。
さらに、3歳ぐらいまでは難聴だったのだとか。
同じく「好書好日」には、
今も多少そうなんですが、3歳ぐらいまで耳が不自由だったんです。聞こえない音域がある。そんな僕にとって、世界は、視覚からの情報を中心に構成されていた。
と掲載されており、苦労していたことが伺えます。
(https://www.fashion-press.net/)
幼少期から色とりどりな着物に囲まれ、難聴だったことで視覚から得るセンスが優れていたのかもしれませんね。
また、そんな増田セバスチャンさんの難聴に、お母さんは気づいていなかったそう。
両親は離婚?家庭環境も複雑?
増田セバスチャンさんの両親は離婚しており、家庭環境もかなり複雑だったのだとか。
増田セバスチャンが営む「6%DOKIDOKI」のHPには、
(Twitter)
4歳になるまで耳が不自由なことに気がつかなかった母、バブルに溺れ母も知らないうちに離婚届けを提出し、中国人の愛人と出来ちゃった再婚した父
と掲載されており、両親ともにかなりパワフルな方だったことが伺えます。
また、自伝「家系図カッター」には、お母さんが新興宗教に入信し、育児放棄していたことなども綴られており、増田セバスチャンさんは幼少期にネグレクトを受けていたのです。
同じくHPには、
(https://eiga.com/)
近くに刃物がないとパニックを起こしてしまうリスカ依存症の妹、中国人を戦争で大量虐殺したことを孫に誇る祖父、16歳で浅草の呉服屋主人の愛人になってしまった祖母……とあまりにも因果の「濃い」家庭。
と両親以外の家族も何らかの問題を抱えていたことが掲載されていました。
また、増田セバスチャン自身も2016年11月17日の「ダ・ヴィンチWeb」のインタビューで、
(https://www.enjoytokyo.jp/)
僕は小さい頃からダメだダメだと言われ続けて、絵を描いても何をやっても全部否定され続けてきたんです。
親を殴ってもどうしようもないと思ったのと、そういう親をどっかでかわいそうと思っていたフシもあるんです。あまりにもダメ過ぎて。弁当も料理もつくれない母親をみてもっと上手く生きればいいのにって。
と語っており、幼少期から厳しい環境の中で育ってきたのですね。
しかし、その当時の悔しさが原動力となって、現在の増田セバスチャンさんの活躍があるのかもしれません。
学生時代も壮絶?
学生時代には、マルチ商法にも誘われた経験があるという増田セバスチャンさん。
2016年11月17日の「ダ・ヴィンチWeb」のインタビューで、
(https://natalie.mu/music)
仲間には本当に悪い奴もいて、何十万もする携帯電話をマルチ商法で売るようなことをしていた奴から僕も誘われたんです。でもそれをやったら人間としておしまいだと思って逃げたんですね。
と語っていました。
その後は、専門学校に入る予定が手続きのミスで、フリーターをすることに。
しかし、その後は寺山修司さんの「書を捨てよ、町に出よう」の影響でアングラ劇団という劇団に所属したといいます。
増田セバスチャンさんは、音楽や演劇、アートなどに触れることが好きだったことから、後にアートディレクターとして活躍することになっていったのです。
壮絶な生い立ちがあったからこそ、現在の増田セバスチャンさんの活躍があるのかもしれませんね。
増田セバスチャンの嫁や子供は?
増田セバスチャンさんは、結婚しているのでしょうか?
2019年3月14日の「telling」で、増田セバスチャンさんは、
(https://telling.asahi.com/)
結婚もせず子どもも持たず、「あったかい家族」という一つの幸せの形からはみ出ている。
と明かしていることから、現在は独身であることが伺えます。
前述した増田セバスチャンさんの自伝の紹介文には、
(https://nybiz.nyc/)
自分は自分の因果を断ち切るために子供を作らないという生き方を選ぼう=自分の家系図を自分の代でカットしよう、と決断するまでの日々
と掲載されていました。
自分自身が歩んだ壮絶な生い立ちが理由で、子供を作ることは望まず、独身で生きていこうと決断したのかもしれませんね。
キラキラした華やかな世界で、輝いている増田セバスチャンさん。
(https://www.instagram.com/sebastian_masuda/)
その背景には、壮絶な人生が隠されていたのですね。
これからの増田セバスチャンさんの更なる活躍にも注目です。