青山学院大学の監督として知られている原晋監督。
奥さんは青山学院大学の寮母さんをしている原美穂さんです。
いったい奥さんの原美穂さんとはどうやって知り合ったのか?馴れ初めや子供はいるのか?など詳しく調査しました。
原晋の嫁は青学の寮母の原美穂!年齢やプロフィールは?
原晋監督の奥さんの名前は原美穂さん。
(https://gohagen.jp/interview/044/)
青山学院大学陸上部の寮母さんとして選手のサポートをしており、夫婦揃って青山学院大学陸上部の部員を支えている珍しいご夫婦と言えます。
「フツーの主婦が、弱かった青山学院陸上部の寮母になって箱根駅伝で常連校になるまでを支えた39の言葉」という本も出版し、メディアにもよく出ている原美穂さん。
年齢は1967年生まれなので原晋監督と同い年で2024年で54歳ですね。
いったい原監督と奥さんの原美穂さんはどうやって知り合ったのでしょうか?
原晋監督と嫁原美穂の馴れ初めは?
原晋監督と同じく広島県出身の奥さんの原美穂さん。
出会った時、原監督は中国電力の営業職員で、原美穂さんは証券会社で働いていたのだとか。
寮母さんとは全く関係のない仕事をしていたのですね。
当時既に原晋監督は陸上競技は辞めていたため、陸上をしていたことは知らなかったという原美穂さん。
突然原監督に、青山学院大学の陸上部の監督になるために会社を辞めて上京したいといわれて驚いたのだとか。
『(青山学院大学の)陸上部の監督になるから会社を辞めて上京したい』と言われても、『本当に好きだったの?』と信じられなくて(笑)。」(ごはんだもん!げんきだもん)
確かに、陸上をやっていたことも知らない結婚相手に会社を辞めて陸上の監督をやりたいと言われたら驚くでしょうね。
しかも広島に家を買ったばかりだったと言います。
2人で上京して共に職を失うのは危険だし、広島で家を買ったばかりで私は残ってやりたい仕事を続けると返事をしました。
既に家を買っていたということは、監督になったのは結婚してからのことでしょう。
実は、原監督は最初は原美穂さんとは別の女性を狙っていたのが、その女性に電話をかけたところ、たまたまその女性の部屋にいた友人の原美穂さんが出たのがきっかけで知り合ったのだとか。
その電話で「今週空いてる?」と誘って交際が始まったといいますから、その友人は複雑な思いだったかもしれません。
そうして広島に残りたいという原美穂さんを寮母さんになってほしいと説得した原晋監督。
でも、陸上部強化のために寮を作り管理してくれる人がいるということで、大学からも一緒に来て欲しいと説得されました。
そこでようやく東京で何をするかも分からない仕事で離れて過ごしても良いことにはならないと思い、私も行くことにしました。当初は3年の契約でした。
家を買っていて、さらに2人とも仕事を辞めて新しいことにチャレンジするということでかなりの勇気がいったはず。
奥さんの原美穂さんは相当不安だったのではないでしょうか。
それでもついていくと決めたということは、原監督を信頼し、愛していたからでしょうね。
右も左もわからない中で寮母さんという責任のある仕事を始めた原美穂さん。
寮母さんといっても料理を作るのは担当ではないようです。
最初は寮母について大学側に尋ねましたが大学側としても前例がなく、とにかく寮にいて宅急便でも受け取ってくれればいいと(笑)。ご飯は作れないし、とりあえずいる。自分の自由も一切ない状態でただいるだけで、何もすることがなくて、仕事がある方がまだましなくらい。
監督には練習のことを精一杯やってもらい、私は陸上のことは分からないので寮で学生と話をしながら今部員が何を求めているのかを感じ取り、それを監督と共有しあって環境を作り上げていきました。
陸上部員の皆さんが練習に打ち込めるような環境づくりをしているのですね。
原監督の魅力について原美穂さんは、
明るいところ。エネルギッシュで、常にポジティブ。普通は出来ないだろうと言うところを『出来る』って言う人なんですね。その気にさせるのがうまい人で、学生も素直だなと思うのですが、その気になるんですね。
負けそうな時にミーティングを開いて、監督が『絶対勝てる』と夢物語を言うと、今までシュンとなっていた学生が『もしかしたら…』と前向きになってくる。私は一番後ろでいつも見ていて分かったのが、前に立つ人が『負けるかもしれない』と言っていたら、選手は前向きになれないし、そういう所がすごいなって思います。
私だったら嘘になるようで言えません。監督は、ピンチをプラスの方向に変えて、強気で言えるタイプです。
と語っていました。
仕事を辞めて上京したい、と言われた時も、原晋監督のポジティブな力に心を打たれたのかもしれません。
原晋監督と嫁・原美穂の子供は?
原晋監督と原美穂さんの間には子供はいません。
原晋監督と原美穂さんが上京して青山学院大学の監督と寮母さんになったのはお二人が36歳の時だったので、一般的には「高齢出産」と言われるお年頃。
そこから監督、寮母さんとして軌道に乗せるために慌ただしい日々を過ごしていたと思われますので、子作りのタイミングを逃してしまったのかも・・・。
あるいは、なかなか子供ができなかったことも青山学院大学の監督を目指そうと思ったきっかけである可能性も考えられます。
原晋監督と奥さんの間に子供がいない理由は不明ですが、たくさんの青山学院大学陸上部の部員たちを実の子供のように愛情を持って育ててきたことでしょう。
学生たちも本当の親以上に信頼しているのではないでしょうか。
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