演歌界の大御所である小林幸子さん。
紅白のド派手な衣装が若者の間で「ラスボスに似ている」と話題になったことから、ニコニコ動画などでも活躍するようにもなりましたよね。
そんな小林幸子さんの夫・林明男さんとの馴れ初めや職業について、干された理由が事務所問題という噂や、離婚疑惑や子供についてなども調べてみました。
小林幸子の夫は林明男で馴れ初めや職業は?
小林幸子さんは、1953年12月5日生まれで、年齢は2022年で69歳になります。
(小林幸子公式サイト)
1963年、当時9歳の時に歌謡バラエティ番組「歌まね読本」でグランドチャンピオンになり、スカウトを受けます。
そして翌年、レコード「ウソツキ鴎」でデビュー。
いきなり20万枚を売り上げる大ヒットに。
その後もさまざまなヒット曲を世に送り出し、一躍国民的歌手になりました。
小林幸子の夫の馴れ初めや職業は?
小林幸子さんは、2011年11月15日、当時57歳のときに林明男さんと結婚。
(デイリー)
林明男さんは、小林幸子さんとは8つ違いということが明かされています。
そのため、1961年生まれで、2022年で61歳になる年なのではないでしょうか。
職業は、再生医療や臨床研究などの事業をしている「TESホールディングス」の代表取締役です。
2011年9月1日、小林幸子さんは結婚会見を実施。
(オリコンニュース)
会見では夫との馴れ初めについても語っていました。
2人の出会いは、2005年11月15日に行われた倍賞千恵子さんらとの食事会だったそう。
初対面で意気投合した2人は、その2週間後に2人きりで食事することに。
そこで小林幸子さんは林明男さんにいきなりプロポーズされたといいます。
(小林幸子インスタグラム)
「2人でご飯食べに行った時に『幸子さんの人生を背負わせて下さい』と言われた。その時は冗談と思って、何回か会ってるうちにそういう言葉もなくなると思ったけど、ずっと言ってくれた」(オリコンニュース)
さらに、2019年12月14日放送の「メレンゲの気持ち」では、こんなエピソードも。
結婚の決め手について聞かれ小林は、始めて食事に行った日を回想。それまで食事の際は「当たり前に私が払うもんだと思ってた」そうで「それで私が払おうとしたら『何してるの』って言われたんです」と支払いを制され、「『払うもんじゃないでしょ。男が払うんですよ、だめですよ』って言われて『はい』って」と、ときめいてしまった」と明かした。(スポーツ報知)
その後、6年かけて愛を深めた2人はゴールイン。
出会って2週間でプロポーズとはすごいですよね。
(ニューヨークビズ)
また、2人の亡くなった父親同士が知り合いで、戦友の仲だったことが後から分かったのだとか。
というのも、林明男さんの母親が父親の写真を見せてくれた際、肩を組んでいる相手が小林幸子さんの父親だったといいます。
不思議な縁があるものですね。
もしかしたら、父親が2人を引き合わせてくれたのでしょうか。
小林幸子が干された理由は事務所問題?林明男が発端?
小林幸子が干された理由は?
小林幸子さんといえば「NHK紅白歌合戦」のド派手衣装が有名ですが、1979年から連続出場していた記録が2011年で途切れてしまいます。
(オリコンニュース)
その原因が事務所問題だったのだとか。
2012年4月12日号の「週刊新潮」によると、小林幸子さんは同年3月末に個人事務所「幸子プロモーション」の社長だった関根良江さんと専務を解任していたそう。
そしてその発端となったのが夫の林明男さんだったというのです。
林明男さんは、小林幸子さんのマネジメントに介入しようとして、関根社長らと真っ向から対立。
紅白歌合戦の豪華衣装について「自分なら3分の1(の製作費)でできる」などと発言し、関根社長の使い込みを疑うようになったそう。
(オリコンニュース)
林明男さんは新婚旅行から帰国後、関根社長と専務に辞任を迫りましたが、応じなかったため解任に至ったといいます。
空いた社長の座には小林幸子さん自らが就任しました。
長年自分を支えてきた事務所の人間を、夫の言うことを鵜呑みにして解雇してしまった小林幸子さんは、世間から「小林幸子ってもっとしっかりした人だと思ってた」「恩知らずはダメですね」などと批判を受けることになります。
(日刊スポーツ)
2012年6月15日には、小林幸子さんが解決金として関根社長らに合計6000万円を支払い、和解が成立したと思いきや、小林幸子さんが、
「相手側はお金の問題ではないとのことでしたが、結局お金でした。最初に退職慰労金を提示して、そんなもの1円もいらないと拒否された金額の倍の要求でした」(スポニチ)
と、知人に送ったメールが流出。
小林幸子さんは、このメールについて「眠れない日が続き、睡眠導入剤を飲んで意識がもうろうとしていた。何を打ったか、覚えていない」と釈明しますが、
「スポニチ」にて公開されたメール全文は、絵文字も使われており、しっかりした文章だったため、小林幸子さんへの批判がさらに激化。
(夕刊フジ)
思わぬ形で泥沼化することとなりましたが、その後2012年8月26日のラジオ番組「千田正穂のありがとう!」で、
「いろいろとご心配をおかけしましたが、法的には全て解決しました」と報告し、とりあえずは事態が収束することとなりました。
しかし、この事務所問題で小林幸子さんは2012年末の紅白に落選し、大手レコード会社との契約も解除することに。
仕事も激減したため、一時干された状態になってしまったのです。
事務所問題は社長側に問題があった?
一方で、2012年4月19日号の「週刊文春」では、関根社長と専務の放漫経営ぶりも報じられていました。
(ホミニス)
同誌によると、関根氏は20年以上、ともに解雇された元専務と同居し高級ベンツで一緒に出退社していた。関根氏は元専務のことを「ママ」と呼び、元専務にかなり気をつかっていたという。というのも、元専務の夫は小林が前事務所から独立する際に違約金の支払いや資金調達の面倒をみたためで、元専務の夫が経営する会社が実質的に「幸子プロ」の営業権を握っていたとうから穏やかではない。
関根社長の報酬は毎月200万円ほどで、ベンツは会社名義のものだったのだとか。
さらに、関根社長と専務が運営していた「幸子プロ」の関連会社は、グッズ販売などを手がけていたそうですが、その収入は専務にしか分からない状況だったといいます。
(産経新聞)
また、2012年4月17日の「日刊サイゾー」では、関根社長と専務のバックには「芸能界のドン」と呼ばれる「バーニングプロダクション」の周防郁雄社長がついていたことが明かされていました。
いくらマイナスイメージがついてしまったといえども、小林幸子さんほどの大御所が、自身の個人事務所スタッフを解雇したくらいで干されるのは不自然なので、この周防社長の介入が干された1番の原因だったのかもしれませんね。
事務所問題からの復帰
事務所問題で「長年のスタッフを勝手に解雇した」というマイナスイメージがついてしまった上に、芸能界のドンにも睨まれてしまった小林幸子さん。
2019年10月10日の「直撃!シンソウ坂上」では、そこからの「大逆転ストーリー」について放送されていました。
それによると、大手レコード会社との契約を解除した小林幸子さんは、その後自主レーベルでの新曲制作を目指します。
しかし、騒動の影響は大きく、曲作りを引き受けてくれる人も、レコーディングスタジオを貸してくれる人もいなかったそう。
そこで小林幸子さんは、長年兄のように慕っていた歌手のさだまさしさんに連絡。
小林幸子さんの困窮具合を見たさだまさしさんは快諾し、翌日には新曲「茨の木」を書き上げてくれたといいます。
レコーディングスタジオは偽名で借り、極秘でレコーディングを敢行。
しかし、自主レーベルでは全国の販売ルートを確保することができないことが判明します。
そこで、小林幸子さんは下積み時代のように全国を巡業し、CDを手売りすることに。
手売り販売としては、異例の2万枚を売り上げました。
また、2013年9月6日には「ニコニコ動画」で活動を始めます。
ネット上では以前から「小林幸子さんの紅白の衣装がゲームラストに出てくるボスキャラに似ている」と話題になっていたため、視聴者に「ラスボス降臨」と喜ばれました。
初投稿動画は公開3日で100万回再生を記録。
これはニコニコ動画史上最速記録だったため、大きな話題となります。
ニコニコ動画でネットの楽しさを知った小林幸子さんは、その後ニコニコ動画のイベントにも多く出演し、人気バーチャルYouTuberであるキズナアイさんともコラボするなど、新たな試みにも積極的にチャレンジ。
ネット界で新たなファン層を獲得することとなりました。
その人気ぶりから、2015年には特別出演として、4年ぶりに紅白歌合戦に返り咲いています。
逆境に負けず新たな世界に飛び込んで、チャンスをものにする小林幸子さんの姿勢は見習いたいものですね。
小林幸子に離婚疑惑?子供は?
小林幸子さんと夫について調べていくと、こんなキーワードが。
2人は離婚してしまったのでしょうか。
しかし、これは夫の林明男さんの話でした。
実は林明男さんはバツイチで、小林幸子さんとは再婚だったのです。
林明男さんが前妻と離婚したのは2004年2月のこと。
(長崎新聞)
2011年9月9日の「女性セブン」によると、前妻にとっては突然の出来事だったといいます。
「離婚する前の年の12月初めころに、彼から突然離婚を切り出されました。当時、私は彼の会社に勤めていたので、上下関係がはっきりしていて…。彼は早く離婚しなければ、(慰謝料などの)条件がどんどん悪くなるという感じで、迫ってきました。本当にあのとき離婚したかったんでしょうね。結局、クリスマスイブに離婚届に判を押しました。子供のこともあったので実際に届けを出したのは、その後しばらくしてからです」
さらに、前妻が林明男さんから、小林幸子さんと食事したことを聞いたのは、離婚前のことだったそう。
ということは2004年以前に林明男さんと小林幸子さんは出会っていることになりますね。
小林幸子さんが結婚会見で語った馴れ初めでは、2015年11月が初対面のはずです。
前妻は林明男さんに、離婚したかった理由は小林幸子さんが原因なのかと何度も訊ねたといいますが、林明男さんは「絶対に違う」と言っていたそう。
しかし一説には、小林幸子さんと林明男さんは、すでに2001年ごろから不倫関係にあったという噂もあるのだとか。
(デイリースポーツ)
小林幸子さんと前妻のどちらが本当のことかはわかりませんが、林明男さんと前妻との間には2人の子供がいるそうなので、前妻の言っていることが事実だとしたら子供たちが可哀想ですね。
ちなみに小林幸子さんと林明男さんとの間に子供はいません。
2人が結婚した当時、小林幸子さんは57歳。
35歳以上の初産は高齢出産となるため、子供は諦めたのかもしれませんね。
ここまで、小林幸子さんと夫などについて見てきました。
今後の小林幸子さんの動向にも注目です。