2021年パ・リーグで新人王に輝いた宮城大弥さん。
そんな宮城大弥さんは、貧乏な生い立ちだったのだそう。
今回は宮城大弥さんの家族構成や両親の年齢・職業、貧乏エピソードや実家の引越し先などについて調べてみました。
宮城大弥の家族構成!両親(父母)の年齢は?
宮城大弥さんは、2001年8月25日生まれで、年齢は2023年で22歳になります。
(https://www.japan-baseball.jp/)
2020年にオリックス・バッファローズに入団。
2023年にはWBC日本代表にも選ばれています。
宮城大弥は4人家族
そんな宮城大弥さんの家族構成は、
- 父親:宮城亨
- 母親:宮城礼子
- 長男:宮城大弥
- 長女:宮城弥生
の4人です。
父・宮城亨さんは、2022年12月に54歳と報じられていました。
そのため、1964年生まれで、年齢は2023年で55歳になる年でしょうか。
母・宮城礼子さんは、2021年12月に53歳と報じられています。
そのため、1985年生まれで、年齢は2023年で54歳になるのかもしれません。
宮城亨さんとは1つ違いなのでしょうか。
2019年11月23日の「日刊ゲンダイ」によると、妹・宮城弥生さんは、宮城大弥さんの4歳下なのだそう。
(朝日新聞)
そのため、2005年生まれで、年齢は2023年で18歳になる年だと考えられます。
妹さんはメディアに映るたびに「かわいい」と反響があるそうですが、たしかに目鼻立ちのはっきりした美人ですね。
7人兄弟・8人兄弟説の真相
宮城大弥さんは8人兄弟だという噂もあります。
(日刊スポーツ)
実際、2019年10月17日の「中日スポーツ」では、
両親と兄3人、姉3人、妹1人の10人家族。
と紹介されていました。
一体どういうことなのでしょうか。
2021年8月27日の「週刊現代」によると、父・宮城亨さんと母・宮城礼子さんは再婚同士なのだそう。
そのため、双方に前の結婚相手との子供がいるのでしょう。
(デイリースポーツ)
「兄3人、姉3人」は義理の兄弟ということになります。
しかし、前述の「週刊現代」や、2020年11月7日の「ズームイン!!サタデー」では、
- 兄と姉があわせて5人いる
- 7人兄弟
などと報じられていたそう。
そのため、8人兄弟なのか7人兄弟なのかは判然としていません。
ただ、義理の兄弟とは別々の場所で暮らしていたため、宮城大弥さんが一緒に育ったのは妹さん1人のみということになります。
宮城大弥の父親の職業は?
元メーキャップ講師で渡米
2019年11月23日の「日刊ゲンダイ」によると、父・宮城亨さんは中学3年生のときに交通事故にあったそうです。
その結果、左腕の神経を損傷し、現在でも後遺症を抱えています。
(日刊ゲンダイ)
事故で野球推薦の高校を諦めた宮城亨さんは、1年浪人して入った定時制高校を卒業した後、単身渡米。
コロンビア放送(現CBSテレビ)の養成所を経て、メーキャップ講師の仕事を開始します。
渡米当時、所持金が5万円ほどしかなかったそうですが、それでも行動しようとしたところがすごいですね。
貸金業者だったときも
宮城大弥さんの父・宮城亨さんは、メーキャップの仕事が軌道に乗り始めた27歳頃、実父が亡くなったため帰国することになります。
(HEROs)
しかし、日本は当時、ハンディキャップのある人が定職に就くことが難しい環境でした。
そんななか、ふと思い立って1000円分の宝くじを買うと、なんと1等180万円が当たったのだとか。
宮城亨さんはその金を元手にして貸金業を始めたそう。
しかし、2000年に入り日本の景気が低迷すると、次第に貸したお金が焦げ付き始めます。
(Full-Count)
そのため、宮城大弥さんの妹・宮城弥生さんが生まれたばかりの頃に、会社は倒産してしまったそうです。
2021年8月27日の「週刊現代」によると、その後は旅行会社「沖縄ツーリスト」で働き、夜は沖縄県那覇市にある興南高校の寮監をするなど、生活のために寝る間も惜しんで働いたのだとか。
そんな宮城亨さんを母・宮城礼子さんもパートをして支えたといいます。
現在はレンタカー会社勤務?
先述の「日刊ゲンダイ」によると、宮城大弥さんの父・宮城亨さんは2019年当時、レンタカー会社で働いていたそう。
また、興南高校の寮監も続けていると明かしていました。
(琉球新報)
また、2019年9月9日の「Full-Count」では、
「息子がワールドカップに出るもんだから、12連休を取りました」
と語っていたため、忙しく働きながらも息子さんの晴れ姿をしっかりと見ることができているよう。
ただ、詳しくは後述しますが、転居の噂があるため、2023年現在もこれらの仕事を続けているのかは不明です。
母・宮城礼子さんも、現在パートを続けているのかどうかは分かっていません。
宮城大弥の貧乏な生い立ちエピソード5選
宮城大弥さんの父・宮城亨さんは、ハンディキャップがあることに加え、経営していた貸金業も失敗してしまいました。
そのため、宮城大弥さんは貧乏な生い立ちだったそうです。
ここからは、宮城大弥さんの貧乏エピソードについて見ていきましょう。
①六畳一間暮らし
2019年11月23日の「日刊ゲンダイ」によると、宮城大弥さんは小学3年生から中学3年生まで、家族4人六畳一間の生活をしていたそうです。
(スポニチ)
家賃は2万8000円。
学生が借りるようなアパートでした。
2023年2月25日の「デイリー」によると、その六畳一間の部屋に、
- 仏壇
- テーブル
- テレビ
- タンス
などを置いていたとのこと。
冷蔵庫は場所を取るため、ベランダに置いていたそうです。
就寝時、宮城大弥さんと妹・宮城弥生さんは、この家具の隙間で寝ていたのだとか。
寝るには3人が限度だったのか、両親は交代で寝ていたといいます。
(日刊スポーツ)
また、水道が止まったこともあったそう。
これだけ見ても、生活がどれだけ大変だったか分かりますね。
②おもちゃのグローブ
2019年10月17日放送の「ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう」では、宮城大弥さんが初めて買ってもらったグローブの話が出ていました。
宮城大弥さんは保育園の頃に少年野球チームに入団しています。
そんな宮城大弥さんのために父・宮城亨さんが買ってきたのは、700円で売っていたビニール製のおもちゃのグローブ。
それでも宮城大弥さんは嬉しかったのか、グローブを抱きながら寝ていたそうです。
ある時、グローブを電子レンジで軟らかくする方法を聞いてきた宮城亨さん。
発火の危険があるため注意は必要ですが、一般的な革のグローブは、電子レンジで軟らかくできるのだそうです。
しかし、前述したとおり宮城大弥さんのグローブはビニール製。
案の定、レンジでグローブは溶けてしまい、溶けたグローブを見た宮城大弥さんは唖然としていたそうです。
しかし、それが嫌な思い出ではなく笑い話になるくらい、貧乏でも家には笑いがたえなかったようですね。
③つぎはぎだらけのユニフォーム
先述の「ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう」によると、宮城大弥さんは少年野球チームに所属していた頃、ユニフォームが買い換えられず、つぎはぎだらけのユニフォームで練習していたそうです。
ひざの部分によく穴が開いていたようで、穴の開いた部分に布を縫い付けることを繰り返し、ひどいときは6枚も布が縫い付けられていたのだとか。
上の布が取れてしまっていますね。
宮城大弥さんは当時を振り返り、
「自分でもちょっと動きづらかったし、重い感覚もありました」
と暴露していました。
「恥ずかしかった」ではなく「動きづらかった」と語っているところが、野球一筋の宮城大弥さんらしくていいですね。
④泥棒扱い
2021年8月27日の「週刊現代」によると、宮城大弥さんは中学生のときに地元の強豪チーム「宜野湾ポニーズ」に入団したそう。
(おきなわ野球大好き)
強豪ゆえに遠征も多く、その分普通のクラブチームよりお金がかかったといいます。
その金額は年間80万〜100万円ほど。
一般家庭でもなかなかの支出です。
宮城大弥さんの両親は遠征費を払うことができず、何度も支払いを待ってもらったそう。
両親のそんな姿に、心無いことを言う人もいたのだとか。
「宮城さん、どこから盗んで来たの。明日の新聞載らんよね」
かなり失礼な発言ですね。
どうやら自分の子供より、貧乏な宮城大弥さんの方が野球がうまいことを妬んでいたようです。
大弥は入団後、周りの選手を抜いてすぐにレギュラーになったので、チームでも目立つ存在だったようです。それに加えて貧乏ときたものだから、格好のいじめの的でした。
そのいじめは子どもたちにも広がり、宮城大弥さんは悪口を言われたり、上履きを便器に入れられたりしたこともあったそう。
しかし、宮城大弥さんが弱音を吐くことはなかったといいます。
これだけの経験をしたら野球自体嫌になってしまいそうですが、それでも野球を続けたのはすごいですね。
家族も宮城大弥さんの意思を尊重して、全力で支えたからこそ、プロの選手になれたのでしょう。
⑤具なしカレー
2023年2月25日の「デイリー」によると、宮城大弥さん一家の食卓にはある献立がよく並んだといいます。
その献立とはカレーです。
しかし、具は入っていない、ご飯とルーのみのものでした。
宮城家では家計が苦しくなると、決まってこの「具なしカレー」が食卓に登場したそう。
この状況を知っている周囲からは「ご飯、買えないんでしょう」と貧乏人扱いされたといいます。
それでも宮城大弥さんは文句一つ言わなかったそう。
父・宮城亨さんは「私が大弥の立場だったら、家出してますよ」と語っていましたが、苦しい状況にも屈さなかった宮城大弥さんは本当に素晴らしいですね。
宮城大弥の実家や引っ越し先は?
宮城大弥さんの出身は沖縄県宜野湾市です。
宜野湾市教育委員会の公式サイトによると、宮城大弥さんの出身小学校は「宜野湾市立志真志小学校」なのだそう。
そのため、宮城大弥さんの実家は同校の近辺だった可能性が高そうですね。
大阪に引っ越し?
しかし、2021年12月16日の「琉球新報」では、このような報道がされていました。
(琉球新報)
今季のパ・リーグ新人王に輝いた宮城大弥の父享さん(54)や母礼子さん(53)ら家族は大阪の自宅で表彰の中継を見守った。
現在の自宅は沖縄県宜野湾市ではないでしょうか。
宮城大弥さんの所属するオリックスは、大阪にある京セラドームを本拠地としています。
そのため、宮城大弥さんを近くで応援するために、実家も京セラドームに近いところに引っ越したのかもしれません。
先述したとおり、2019年11月には父・宮城亨さんが沖縄にある興南高校の寮監をしていることが報じられていたので、引っ越し時期はそれ以降と考えられます。
宮城大弥さんは入団当初の年俸は770万円でしたが、2022年で5,000万円、2023年で8,000万円と年俸が鰻登りとなっています。
そのため家族に大阪で新しい家を購入してあげたのかもしれません。
ちなみに、宮城大弥さんは2022年12月時点でオリックスの寮生活をしていると報じられていたため、家族と一緒には住んでいないようですね。
さらに2022年9月16日には「一般社団法人宮城大弥基金」発足し、今まで助けてくれた人たちへの恩返しがしたいと野球をしている子供達をサポートする団体を立ち上げた宮城大弥さん。
いろんな人の助けがあってプロ野球になれた。
プロになったら恩返しをしよう。
という父・亨さんとの約束だったそうです。
なかなかできることではなく、素晴らしい活動ですよね。
ここまで、宮城大弥さんの家族や生い立ちについて見てきました。
今後も宮城大弥さんの活躍に期待です。