国民民主党の補欠選挙に出馬予定だったのが、法令違反の恐れがあるとして公認を外され、立候補を断念した高橋茉莉さん。
2024年9月4日に亡くなっていたことが判明しています。
生活保護を受けていたという高橋茉莉さんの壮絶な生い立ちや父親の会社名、母親の鬱病についてなど詳しく調査しました。
高橋茉莉の壮絶な生い立ち① 父親の会社が倒産
東京都新宿区出身で、立教女学院小学校に通っていた高橋茉莉さん。
立教女子学院といえば杉並区久我山にある私立の小学校で、年間100万円近い学費がかかるお嬢様学校です。
しかし小学校5年生の時に人生が一転。
(FLASH)
小学生までは、20畳のリビングがある家に住む “お嬢様” でしたが、5年生のときに父の会社が倒産。学校を転校し、自宅を退去、六畳ひと間に移り住みました-FLASH
父親の会社が倒産し、6畳一間のアパートに移り住んだといいます。
さらに「女性セブン」では高橋茉莉さんについて
・家にグランドピアノがあった
・1着何万円もする高級子供服を着ていた
・年に数回はファーストクラスやビジネスクラスで海外旅行を楽しんでいた
など、絵に描いたようなお嬢様生活をしていたとも報じていました。
倒産前は新宿区でリビングが20畳ある大きな家に住んでいたといいますから、相当経営も順調で景気もよかったのでしょう。
その後高橋茉莉さんは調布市立調布中学校を卒業していることから、新宿区より家賃の安い調布市に引っ越した可能性が高そう。
高橋茉莉さんは政治活動中に父親が79歳と語っており、高橋茉莉さんは父親が51歳頃に生まれたということに。
高齢で生まれた子供だったということで、父親は相当可愛がっていたのではないでしょうか。
高橋茉莉さんの父親が経営していた会社名や業界などは明らかになっていませんが、毎年家族3人がファーストクラスで旅行するとしたら数百万円はかかるでしょうから、相当儲かっていたことでしょう。
高橋茉莉さんは貧しかった当時について、
でも、私の人生にとって、それがとても大事な経験だったんです。悔しさも味わったけれど、助けてくれる人の温かさも知ることができましたから!
と語っていました。
苦しい中でもさまざまな人たちに助けられて暮らしていたのですね。
高橋茉莉の壮絶な生い立ち② 母親の鬱病と自殺未遂
高橋茉莉さんの母親は専業主婦で、初心者マークをつけながらベンツに乗っていたのだとか。
母親の年齢は明らかになっていませんが、父親と同年代だと50代ということになり、子供を産むことは難しそうなので、父親の10〜20歳年下である可能性が高そう。
現在は50〜60代前後でしょうか。
50代の成功している経営者との結婚ということで、結婚当初母親はバラ色の結婚生活を夢見ていたのかもしれません。
しかし前述したように生活は一変。
現在は削除されていますが、高橋茉莉さんは「note」というネットメディアで母親について
母が鬱になり 家が荒れたことだ。 母が暴れて家がぐちゃぐちゃ になり、 呼吸困難や自殺未遂 で夜中に救急車が来る日が続いた。
と言及していました。
セレブな生活から一転して環境が変わったためか、母親の精神状態が不安定になることが相次ぎ、10代の多感な時期に家族のことで辛い思いをしたといいます。
今回高橋茉莉さんは「自死」という道を選んでしまいましたが、母親が鬱病や自殺未遂を繰り返していたことも無関係とは言い難いののでは、という意見も。
亡くなった高橋茉莉さん、父親が50代の時の子供で、母親は鬱病で自殺未遂を繰り返していたみたい。自殺する人って土台(親)がグラグラなんだよな…。トラブルとか誹謗中傷とか、トリガーは沢山あると思うが、自殺の根本的な原因は親にある。
— 天使 (@tenshicos) September 9, 2024
一時は生活保護を受け、都立西高等学校から奨学金で慶應義塾大学文学部に進学した高橋茉莉さん。
大学時代も相当苦労していたことでしょう。
27歳という若さで我が子を亡くしたご両親も、相当悲しんでいるのではないでしょうか。
高橋茉莉さんのご冥福をお祈りいたします。
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