女優として活躍し、幅広い世代に人気の有村架純さん。
2022年には、日本アカデミー賞で最優秀主演女優賞を受賞しました。
今回は、そんな有村架純さんの家族構成や母子家庭という噂、母親の居酒屋は伊丹のどこで、父親の職業や鹿児島がルーツ説などについて調べてみました。
有村架純は母子家庭?家族構成は?
有村架純さんは、1993年2月13日生まれで、年齢は2023年で30歳になります。
(有村架純ツイッター)
出身は兵庫県伊丹市。
家族構成は、
- 母親
- 長女:有村藍里
- 次女:有村架純
の3人家族です。
2013年11月21日の「朝日新聞」によると、有村架純さんの両親は、有村架純さんが小学校4年生のときから別居していたそう。
そして、中学1年生の頃に離婚。
以降、姉でタレントの有村藍里さんとともに母子家庭で育ち、父親とは会っていなかったといいます。
(有村藍里インスタグラム)
2021年8月1日の「ボクらの時代」によると、有村架純さんは父親と別居した頃に、自分が父親代わりにならなくては、と意識し始めたのだとか。
しかし、離婚の影響で病み期に入ってしまい、学校でも友人関係が上手くいかなくなってしまったそう。
そのときにいろいろなことを悟ったと語っていました。
有村架純さんは落ち着いていて、何事にも動じない印象がありますが、両親の離婚などさまざまなことを幼少期に体験したからなのかもしれませんね。
有村架純の母親の居酒屋は伊丹のどこ?
母親が居酒屋を開店
2016年7月7日の「女性自身」によると、有村架純さんの母親は現在、関西で日本酒バルを経営しているのだとか。
オープンしたのは同年の4月。
行列ができるほど繁盛しているようで、夜8時には満席になってしまうほどの人気店なのだそうです。
有村架純さんの母親は、もともと会社員だっただったといいます。
子育てが一段落したため、自分の好きなことをしようと思い立ち、居酒屋を開店させたそう。
人と触れ合う仕事が一番好きなため、居酒屋にしたのだといいます。
有村架純さんからも、
「お母さんは会社勤めより自分で独立してやりたいことをやっていくほうが向いている気がする」
と言われたそうです。
いままで働きながら女手一つで育ててくれたお母さんの夢が叶って、有村架純さんも嬉しかったのではないでしょうか。
母親の居酒屋は「日本酒バル 酌」
先述の「女性自身」では、有村架純さんの母親の店の場所は明かされていませんでした。
ただ、関西ウォーカー編集部のツイッターで、以下のような呟きが。
(関西ウォーカー編集部のツイッター)
どうやら、この「日本酒バル 酌」という店が、有村架純さんの母親の店のよう。
場所は兵庫県伊丹市中央4丁目。
同店は、全国各地から100種類以上の日本酒を仕入れているという、日本酒好きにはたまらないお店のようで「有村架純の母親の店」という宣伝効果を抜きにしても、とても評判が良いようです。
また、母親は「のんちゃん」と呼ばれ、常連客から愛されているよう。
(ツイッター)
「女性自身」では、母親の容姿について「ゆるくパーマのかかった茶色い髪にキレイな顔立ち」と書かれていたため、きっと有村架純さん似の美人な母親なのでしょう。
気になる顔画像は、姉の有村藍里さんが、映像配信プラットフォームサービス「AmebaFRESH!」で公開していました。
向かって左が有村藍里さん、そして右が母親です。
顔は隠してありますが、それでも若々しく美人であることが分かりますね。
有村架純の父親の職業は?鹿児島がルーツ?
父親は会社員?
有村架純さんの父親の職業は明かされていません。
ただ、2013年11月21日の「朝日新聞」によると、髪形やファッションにこだわりがある、優しくてかっこいい人だったのだとか。
そのため、服装や髪型に制限がない職業に就いていたのかもしれません。
そうなると、アパレル系やIT系などの可能性も。
(モデルプレス)
経営者や自営業の可能性もありますが、有村架純さんは「両親は共働きだった」と語っていたことがあります。
もし父親が経営者や自営業などだったらこのような言い方はしないでしょうし、可能性は低そうです。
そのため、職種は分かりませんが、母親と同じく会社員だったのではないでしょうか。
もしかしたら2人は同じ職場で出会ったのかもしれませんね。
父親は鹿児島出身?
2018年11月23日、有村架純さんが主演を務める映画「かぞくいろ―RAILWAYS わたしたちの出発―」の舞台挨拶が行われました。
(ナタリー)
本作品の舞台は、鹿児島県の「肥薩おれんじ鉄道」です。
そのため、インタビューで鹿児島についてのエピソードを聞かれた有村架純さん。
そこで、祖父母やいとこが鹿児島にいることを明かしていました。
母親は、実家のある兵庫県出身だと考えられるので、鹿児島出身なのは父親なのではないでしょうか。
(ビルボードジャパン)
また、2023年2月4日の「神戸新聞NEXT」によると、「有村」という名字は、桜島の南側に位置する大隅国大隅郡有村(現・鹿児島市有村町)がルーツなのだとか。
江戸時代は桜島を代表する保養所だったそうですが、桜島の噴火で集団移住を余儀なくされたそうです。
現在では、有村姓は鹿児島県内で広く分布しているとのこと。
その1人が有村架純さんだったということです。
名字だけでルーツが分かるのは面白いですね。
有村架純は父親っ子
先述の「朝日新聞」によると、有村架純さんは父親っ子だったのだそうです。
小さい頃はずっと父親についてまわっていたのだとか。
日曜日に家族で出かけるときは、いつも父親と手を繋いでいたといいます。
指があまり長くなくて、ゴツゴツした、温かい手だったことを覚えているそう。
日曜日の夜は「ちびまる子ちゃん」を見ながら、家族でご飯を食べていたのだとか。
ときには、父親がたこ焼きを焼いてくれたもあったそうです。
(モデルプレス)
ただ、父親は行儀に厳しく、テレビばかり見ていると怒られたといいます。
ご飯中はずっと正座で、言葉遣いにも厳しかったのだとか。
普段は「かっすん」と呼ばれていたそうですが、怒られるときは「かすみ」と呼び捨てにされていたそうです。
しかし、厳しくても好きだったということは、普段は優しいお父さんだったのでしょう。
そんな大好きな父親との別れを思春期に経験することになるなんて、きっと辛かったでしょうね。
父親と2度の電話
有村架純さんは父親と小学校6年生くらいのときから会っていなかったそうです。
(サンスポ)
しかし、高校2年のとき、仕事のために上京することになり、父親と電話で話したのだとか。
ただ、母親から急に電話を渡された上京だったため、心の準備ができておらず、すぐに切ってしまったそうです。
それを「申し訳ないことをした」と引きずっていたといいます。
このまま連絡を取らないのは嫌だな、とずっと思っていたという有村架純さん。
(オリコンニュース)
20歳になったときに自分から父親に電話を掛けたそうです。
電話口の声が変わっておらず「あ、パパだー」と思ったそう。
父親は突然の電話に驚いていたそうですが「応援してるよ」と言ってくれたのだとか。
また、
「ほんまにまっすぐ育ってくれたな。ありがとう」(朝日新聞)
と言ってくれたといいます。
有村架純さんは芸能の仕事をすることで、父親に自分の姿を見てもらいたいと思っていたところがあったそうです。
そのため、父親が応援してくれたと知って、とても嬉しかったと語っていました。
親子の縁が再び繋がったのは素敵ですね。
ここまで有村架純さんの両親について見てきました。
今後も有村架純さんの活躍に注目です。
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