元プロレスラーで現在は政治家として活動している馳浩さん。
そんな馳浩さんはバツイチなのだそうです。
今回は、馳浩さんと元嫁の馴れ初めや離婚理由、現在の嫁・高見恭子さんの年齢や馴れ初め、また娘・鈴音さんの年齢や学校などについて調べてみました。
馳浩の元嫁は古賀仁美で馴れ初めや離婚理由は?
元嫁はビクトル古賀の娘
馳浩さんは、1961年5月5日生まれで、年齢は2023年で62歳になります。
(日本経済新聞)
1984年3月に専修大学文学部国文学科を卒業後、母校の星稜高等学校で国語科教師として教鞭を振るっていました。
そして同年7月にロサンゼルスオリンピック代表を経て、翌年プロレスラーデビュー。
新日本プロレスや全日本プロレスで活躍したのち、1995年に政界入りを果たしました。
2023年現在は石川県知事として活動中です。
そんな馳浩さんには2度の結婚歴があります。
まず1人目の奥さんは、ロシア格闘技サンボ界の大御所であったビクトル古賀さんの長女・古賀仁美さんです。
(https://aucview.aucfan.com/)
1990年4月17日号の「週刊プロレス」によると、古賀仁美さんは高校時代にアフガニスタンに留学し、ペルシャ語と英語を話せる才女なのだそう。
年齢については公表されていませんでしたが、写真を見るに馳浩さんと同世代くらいなのではないでしょうか。
馴れ初めはサンボ修行
1989年6月、馳浩さんはロシア(ソ連)でサンボ修行をしていました。
そのときの師匠がビクトル古賀さんだったのだとか。
(カナロコ)
娘の古賀仁美さんは練習の付き添いで来ていたそうで、そこで馳浩さんと出会い仲を深めたようです。
そして、2人は翌1990年3月31日に京王プラザホテルで結婚式を挙げています。
(https://aucview.aucfan.com/)
元スピードスケート選手の黒岩彰さんや柔道の斉藤仁さんをはじめ、200人以上の人が結婚を祝福しました。
しかし、2人はまもなく離婚。
離婚時期については不明です。
ただ、馳浩さんは1995年3月に再婚しているため、結婚生活は5年もなかったことになりますね。
離婚理由は馳浩の不倫?
馳浩さんと元嫁の離婚理由はハッキリとは分かっていません。
しかし、噂では馳浩さんの不倫ではないかと噂されています。
当時、馳浩さんには大ファンのセクシー女優がいたそう。
それが高見沢杏奈さんです。
(https://www.amazon.co.jp/)
1971年3月20日生まれで、年齢は2023年で52歳になる年。
馳浩さんの10歳下ですね。
小泉今日子さん似で人気の女優だったのだとか。
そんな高見沢杏奈さんと馳浩さんは不倫関係になってしまい、それが原因で古賀仁美さんとは離婚に至ったと言われています。
結婚生活の短さからして不倫したのは新婚時代でしょうし、元嫁の古賀仁美さんが少し可哀想ですね。
馳浩の現在の嫁は高見恭子で年齢や馴れ初めは?
現在の嫁は高見恭子
馳浩さんは1995年3月にタレントの高見恭子さんと再婚しています。
(https://www.watanabepro.co.jp/)
高見恭子さんは、1959年1月5日生まれで、年齢は2023年で64歳になる年。
馳浩さんの2歳上ですね。
高見恭子さんは、小説家の高見順(本名:高間芳雄)さんと、愛人の小野田房子さんとの間に生まれた非嫡出子です。
(日本近代文学館)
1965年に高見順さんが食道がんで亡くなる直前、正妻・秋子さんの計らいで高間家の養子となっています。
その後、高見恭子さんは高校卒業まで、正妻から養育費を受けて生活していたそうです。
そして、14歳のときに雑誌「MC SISTER」のモデルとして芸能界デビュー。
(https://aucview.aucfan.com/)
テレビタレントとしても多数の番組で活躍するようになりました。
高見恭子もバツイチ
実は馳浩さんと同じく、高見恭子さんもバツイチなのです。
(オリコンニュース)
1990年4月頃、高見恭子さんは年下の美容整形外科医・松原正裕さんと出会います。
そして約1ヶ月後の5月21日に、たった4回デートしただけで入籍したのだとか。
当時、この結婚は「ひらめき婚」と報じられたそう。
しかし、1990年9月5日にハワイのマウイ島で結婚式を挙げるも、同年11月末には離婚。
(デイリー)
結婚期間わずか半年のスピード離婚となってしまいました。
1990年12月15日の離婚会見時、高見恭子さんは、
「幸せな家庭をつくり上げる途中で壊されちゃった感じ。クシャミしていた間に全てがなくなっていたの」(日刊ゲンダイ)
と泣いていたそうです。
離婚の大きな原因は、高見恭子さんが作った手料理を拒否して元夫が外食を好むなど、価値観の不一致だったといいます。
馴れ初めは和歌
2015年11月19日の「日刊ゲンダイ」によると、馳浩さんと高見恭子さんの出会いは、衆議院議員の松浪健四郎さんの紹介だったそうです。
(Fight&Life)
2016年12月2日の「5時に夢中」によると、馳浩さんはこのとき高見恭子さんに一目惚れしたのだとか。
奇しくも2人の出会いの翌日に高見恭子さんの母親が亡くなり、葬儀を馳浩さんが仕切ってくれたといいます。
また、馳浩さんは高見恭子さんと付き合うために、独特なアプローチ方法もとっていたのだとか。
「和歌を書いたラブレターを送りました。国語の教師だったし」
さらにお互いバツイチであることに加え、馳浩さんの愛読書の1つが高見順さんの「死の淵より」だったことなどもあり、2人はすぐに仲を深めたそう。
交際してわずか1週間で結婚の話が出たほどだそうです。
そこから1年間交際し、1995年に見事ゴールイン。
結婚20年目の2015年11月には「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー2015」を受賞しています。
(スポニチ)
きっと2人は価値観が合ったのでしょうね。
馳浩と高見恭子の娘は鈴音で年齢や学校は?
馳浩さんと高見恭子さんの間には、子供が1人います。
それが1997年12月生まれの長女・馳鈴音(はせ・りおん)さんです。
(アメブロ)
2023年で26歳になります。
若い頃の高見恭子さん似でかわいいですね。
娘は一般人のため、学校や職業などは明かされていません。
しかし、2022年3月8日の「FLASH」によると、現在は都内企業に勤務しながら、父親の選挙時には有給休暇を取り、応援に駆けつけているそうです。
(スマートフラッシュ)
また、馳浩さんは石川県知事になるまで東京で暮らしていたため、娘は小学校から大学までずっと東京だった可能性が高いのではないでしょうか。
馳浩さんと高見恭子さんの娘なので、
- 慶應義塾系列
- 学習院系列
- 東京女学館系列
など、政治家や芸能人御用達の名門私立校で、エスカレーター式に大学まで進んだ可能性もありそうです。
ここまで馳浩さんと家族について見てきました。
今後も馳浩さんの動向に注目です。