料理研究家として活躍されている栗原はるみさん。
オリジナルブランドで調理道具やキッチン用品なども販売されていますよね。
そんな料理上手な栗原はるみさんの夫はどんな方だったのでしょうか。
栗原はるみさんの夫が病気で死因や依存とは何だったのか、職業や年齢差、どのような馴れ初めで結婚に至ったのかなどについて、詳しく調査しました。
栗原はるみの夫が病気で死因や依存とは?
栗原はるみさんは静岡県下田市出身の1947年3月5日生まれ。
2022年の誕生日で75歳を迎えます。
(栗原はるみ公式サイト)
栗原はるみさんは1973年、当時26歳のときに元キャスターの栗原玲児さんと結婚。
一男一女の母で、結婚してから約10年後に料理研究家としての仕事をはじめました。
栗原はるみさんの夫・栗原玲児さんは1933年8月16日生まれ。
(朝日新聞)
栗原はるみさんが料理研究家として活動するようになったのは、夫の栗原玲児さんに「社会に出てみなさい」と背中を押されたからなのだそうですよ。
実は、栗原玲児さんは栗原はるみさんとは再婚でした。
一度目は歌手の坂本スミ子さんと1964年に結婚をしましたが、残念ながら結婚生活は長く続かず2年後の1966年に離婚しています。
(朝日新聞)
栗原玲児さんと栗原はるみさんの結婚生活は穏やかに過ぎていきますが、栗原玲児さんは病気のため2019年8月3日、85歳という年齢でこの世を旅立ちました。
栗原玲児さんを蝕んだ病気は一体どのようなものだったのでしょうか。
栗原はるみの夫の死因は?
栗原はるみさんの夫・栗原玲児さんの死因は「肺がん」。
心臓に埋めているペースメーカーの定期検診がきっかけで、栗原玲児さんは2018年6月に肺がんの宣告を受けます。
その後、通院して放射線治療を受けることで、肺がんによる症状や検査異常は無くなりました。
(レストラン本陣)
栗原はるみさんは当時について、
「発達した医療の恩恵で、きちんと治るんだなと、ほっとしました。」
と話していますが、事態は急変。
治療してから半年度に肺がんが再発してしまったのです。
2020年2月1日に公開された「医療サイト朝日新聞アピタル」によると、栗原玲児さんは主治医と病院でこのようなやりとりをしていたのだとか。
夫は若い頃からヘビースモーカーだったからなのか、冷静に「余命はどれくらいですか?」と聞きました。「半年から1年」と告げられると、すぐに延命治療はしない、入院もせず最期まで自宅で過ごすと決めました。
「がん」などの重い病気を患うと、まず最初によぎるのが治療方法やその後の生活。
がんのステージにもよりますが、治療するためには入院なども必要になってきますよね。
しかし、栗原玲児さんは延命治療をしないことを選び、自宅で家族と一緒の時を過ごすことを選んだのです。
(PRTIMES)
そして、栗原玲児さんは無理のない範囲で、趣味の読書や音楽鑑賞を自宅で楽しみ、自分の好きなように余生を過ごします。
「余命半年から1年」という医師の宣告を受け、戒名や死装束などの終活も済ませていたそうですよ。
栗原玲児さんが延命治療を受けなかったのは人生を諦めたからではなく、むしろ残りの人生を前向きに楽しく過ごそうとしたからだということが伝わってきますよね。
医師の宣告を受けてから約1年後の2019年8月3日。
栗原玲児さんは静かに息をひきとりました。
(PRTIMES)
夫の栗原玲児さんが亡くなり、栗原はるみさんの心にできた穴はやはり大きいようでした。
46年連れ添った夫がいなくなってしまい、眠れず、食欲がわかず、体重は5キロ減りました。泣き過ぎて、自分の顔ではないみたいに変わってしまって。こんな自分は嫌なのに、なかなか悲しみから抜け出せない日々です。そんななかでも、すでに受けていた仕事は、家族、友人、スタッフの皆に支えられて何とかやり続け、やっとここまで来た感じです。
2022年現在も料理研究家としてさまざまなレシピを紹介している栗原はるみさん。
夫の死を乗り越え、気持ちを奮い立たせて料理研究家としての活動を続けているのではないでしょうか。
栗原はるみは夫に依存していた?
栗原はるみさんは2020年2月1日に公開された「医療サイト朝日新聞アピタル」にて、夫の存在の大きさについても話していました。
(文春オンライン)
あるとき息子が「抜け殻みたい。おやじに依存していたんだね」って言ったんです。その言葉で、私は自分が夫に精神的に依存していたことを初めて自覚しました。
栗原はるみさんは壮絶な喪失感を経て、実は夫の存在が自身の思っていた以上に大きかったことに気づいたのですね。
栗原はるみさんは結婚当初、夫の帰りを待ついわゆる古風な性格の女性だったのだとか。
しかし「僕を待つだけの女の人にならないでほしい」「自由でいてほしい。自分のやりたいことを探して」という夫の栗原玲児さん言葉を受け、料理研究家として活動を始めます。
(文藝春秋)
料理研究家としての道がひらけたのは、料理番組の裏方の仕事をはじめてから3年後。
創刊したばかりの女性誌に掲載された「サバのそぼろ」が好評で、少しずつ料理研究家としての活動が増えていきます。
夫の栗原玲児さんはプロデューサーのような立場で一緒に会社を設立してくれたそうで、公私共に時間を過ごしていったのだとか。
また、料理については子供の意見も取り入れましたが、一番は夫の栗原玲児さんの言葉を重視したそうです。
おいしければ「ベリーグッド」「まこといい」「たいしたもんだ」。ダメな時は「まずい!」って率直に言ってくれたから。「ええ? そんなにまずいかな」と思う時もあったけど、この人はどうしてこう言うのだろうか、と試作しながらよくよく考えると、言った意味が分かる。そういう存在でした。だから試作もたくさんできて、良い本もできたと思います。
栗原はるみさんにとって、夫の栗原玲児さんの意見は何よりも大事だったようですね。
栗原はるみさんが当たり前だと思っていた生活は、実は夫の栗原玲児さんがいてこそだったのではないでしょうか。
栗原はるみの夫の職業や年齢差は?
栗原はるみさんの夫・栗原玲児さんは14歳年上。
(とうよこ沿線)
栗原はるみさんよりも一回り以上も年齢が離れています。
そんな栗原玲児さんの職業は、1964年4月に放送開始したテレビ朝日系「木島則夫モーニングショー」のサブ司会などを務めた元キャスター。
その他にもフジテレビ系「スター千一夜」、瀬戸内海放送の「栗原玲児の土曜8時半です」「栗原玲児の土曜プラザ」などの人気番組にも出演していました。
(smart FLASH)
また、映画好きということもあり、映画評論家としての顔も持っているのだとか。
さらには1970年代に参議院選挙に出馬したこともあるそうで、さまざまなことに意欲的だったことがうかがえます。
栗原玲児さんの職業についてさらに調査をしたのですが、残念ながら栗原玲児さんがいつまでキャスターを続けていたのか具体的な年代は明らかになっていませんでした。
しかし、栗原はるみさんと結婚してから第一線を離れたという情報も。
さらに、栗原玲児さんは栗原はるみさんと「株式会社ゆとりの空間」を設立していることが判明。
(株式会社ゆとりの空間)
この会社は2000年に設立されているため、このころには芸能界を引退し、実業家として活躍していたのではないでしょうか。
栗原はるみと夫の馴れ初めは?
栗原はるみさんと栗原玲児さんは、栗原はるみさんのお兄さんを介して知り合いました。
栗原はるみさんは東京にある成城大学短期大学部を卒業してから地元・静岡県の下田市に帰省。
そのころ、栗原はるみさんのお兄さんがデザイナーやカメラマンなどの友人をたびたび自宅に招き、パーティーを開いていたそうです。
その中に料理が上手だった栗原玲児さんがいたのだとか。
(PR TIMES)
「ごはんを食べにいらっしゃい」と言われ栗原はるみさんが行くと、テーブルには美味しそうな洋食が並んでいたそうです。
古風で厳格な環境で育ってきた栗原はるみさんにとって、栗原玲児さんの作る料理はとても新鮮なものに思え、そこから親しくなっていったのだとか。
栗原はるみさんは夫の栗原玲児さんの作る料理に胃袋を掴まれたようですね。
実家で昔ながらの和食しか見たことがなかったとしたら、きっと栗原玲児さんの作る料理は輝いて見えたのではないでしょうか。
(club willbe)
最愛の夫が亡くなったいまも料理研究家として更なる高みへ挑む栗原はるみさん。
今後の活躍にも注目です。
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