歌手として長年第一線で活躍しているさだまさしさん。
代表曲である「関白宣言」が有名ですが、これは実話だったのでしょうか?
さだまさしさんと奥さんとの馴れ初めや年齢、職業なども含めて詳しく調査しました。
さだまさしの嫁は丸映子で年齢や職業は?
「読売新聞」のインタビューで、
1983年、僕は映子と結婚しました。翌年に長男の大陸、その3年後に長女の詠夢が誕生しました。
と奥さん、息子さん、娘さんの名前も公表していたさだまさしさん。
1983年に発行したファンクラブの会報には妻である映子さんの写真も掲載されていたようです。
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とてもお綺麗な方ですね。
妻の映子さんは1957年生まれで2025年で68歳なのでさだまさしさんの5歳年下。
さだまさしさんの妻・映子さんは現在はJALと統合された東亜国内航空のキャビンアテンダントをしていたといいます。
1983年にはドラマ「スチュワーデス物語」が放送されるなど、当時からキャビンアテンダントは女性の花形の職業。
映子さんも才色兼備の魅力な女性だったのでしょう。
さだまさしと嫁・映子の馴れ初めは?
1975年にフォークデュオ「グレープ」時代にリリースした「精霊流し」が大ヒットしたことで一気にスターの座を駆け上がったさだまさしさん。
しかしその陰で肝炎を患い、休養を申し出たもののプロデューサーから受け入れてもらえなかったといいます。
その後出した「朝刊」が思うようにヒットしなかったことなどから1976年にグレープを解散。
一時期は音楽業界を離れて就職を考えていたといいます。
しかし就職活動がうまくいかなかったために1976年11月にソロ活動を開始。
1977年に雨やどりがきっかけで恋に落ち、結婚につながるまでを描いた「雨やどり」が大ヒットし、復活を遂げました。
プライベートでも1976年頃に映子さんに出会い、交際をスタートしたというさだまさしさん。
映子さんとの詳しい馴れ初めは明らかになっていませんが、療養中に実家長崎との行き来をしていた時にキャビンアテンダントをしていた映子さんと出会ったのかもしれません。
「雨やどり」も、映子さんとの恋をモチーフに作った作品である可能性が高そうですね。
そうしてさだまさしさんと映子さんは1983年に7年間の交際を経て結婚しています。
大ブレイクからの体調不良、芸能活動の休止、再復活と芸能界の浮き沈みを嫌というほど味わったさだまさしさんが選んだ女性ですから、映子さんは相当素敵な方なのでしょう。
さだまさしの「関白宣言」は実話?
妻・映子さんとの交際2年目にリリースした「関白宣言」が150万枚を超える大ヒットとなったさだまさしさん。
お前を嫁にもらう前に 言っておきたい事がある
という歌詞からも、交際当初から映子さんと結婚する気があったであろうことが伺えます。
読売新聞のインタビューでは、
子育てという意味では、おしめひとつ替えたこともないダメな父親でした。
と語っていたさだまさしさん。
長崎出身の九州男児ですから、「男子厨房に入らず」を地でいっていたののでしょう。
しかし
愛する女は生涯お前ただ1人
という歌詞にある通り、1983年に結婚した後は浮気報道などもなく結婚生活を送っているさだまさしさん。
お子さんたちも大きくなり、妻の映子さんと仲良く暮らしているのではないでしょうか。
このことから「関白宣言」は実話だった、と言えそう。
今後のさだまさしさんのご活躍にも注目です。
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