元プロ野球選手として活躍された新庄剛志さん
現在では古巣・北海道日本ハムファイターズの野球監督を勤め、様々なメディアにも出演しています。
そんな新庄剛志さんの家族について詳しく調査しました。
新庄剛志の家族構成と生い立ちは?
家族構成は?
1972年1月28日に長崎県下県郡で生まれた新庄剛志さん。
家族構成は父、母、姉の4人家族です。
父:新庄英敏:1941年生まれ(2011年・70歳で亡くなる)
母:新庄文子:1944年前後生まれ(年齢・77歳前後)実家は長崎県対馬
姉:新庄真由美:年齢・51歳前後(2歳差)
※2022年1月現在
生い立ちは?
新庄剛志さんの生い立ちははどうだったのでしょうか?
新庄剛志さんが自身の半生を綴った『わいたこら。』でこう語ってます
これまで何度か言ったけど、僕の家は超貧乏で、ちょっと変わった家だった。
まず、うちには朝ごはんというものがなかった。お金がないせいもあるんだけど、
母ちゃんが低血圧だったせいもある。だから毎日、学校に行って給食を思いっきり食べていた。 で、晩飯のおかずは、ゆで卵1個。親父は特別に2個。
家の窓ガラスが割れても、入れ直すお金なんてなかったから、冬はビニール袋をはって窓をふさいでいた。なぜか、クルマの窓も同じようにビニールをはっていた。
新庄剛志さんは子供の頃は相当苦労されたようですね。
朝ごはんなし、夕飯はゆで卵一個という食生活だったとは思えないくらい、今は鍛え上げられた体をしていますよね。
新庄剛志さんの明るくポジティブに運を引き寄せる性格は、そんな貧乏な生活の中でも逆境を楽しんでいた家族のおかげだとも語っていました。
親父が、あんまりかわいそうだと思ったのか、プーマの運動靴を買ってくれたのを思い出す。
小学生のとき、運動靴を買ってもらったのはそれっきりだったから、超嬉しくて今でもよく覚えている。(わいたこら)
決して裕福ではない生活の中でも、家族みんなが仲良く暮らしていた様子が伝わってきます。
新庄剛志さんが生まれた時からプロ野球選手にするつもりだったという父の英敏さんは、阪神時代もキャンプや公式戦などにも顔を見せる名物パパとしても知られていたのだとか。
お父さんは新庄剛志さんの活躍を喜んでいたことでしょう。
新庄剛志の父親は合気道の先生?職業は?
インドネシアで聞いた父の訃報
2011年8月5日に食道がんで亡くなった父親の新庄秀敏さん。
享年は70歳でした。
新庄剛志さんは当時インドネシアに滞在していたので、死目には会えませんでした。
(日刊スポーツ)
「最愛の人。いろいろ迷惑をかけて親不孝ばかりでごめん。ありがとうという感謝の気持ちでいっぱいです」(日刊スポーツ)
と語っていた新庄剛志さん。
大好きなお父様を亡くして辛かったことでしょう。
職業は植木職人
そんな新庄剛志さんのお父さんは生前は植木職人をしていたそうで、道具は大事にしていたそうです。
(https://www.xox-tokyo.jp/shinjo-tsuyoshi-hidetoshi/)
亡父は植木職人で、小さい頃から木材運びなどを手伝っていたことで握力がつき、片手でリンゴが握りつぶせるほどになったという。「親父は仕事終わった後に、ハサミとかを毎日手入れして、道具を大事にしていたの」と新庄氏。(スポニチ)
また新庄剛志さんの父親は『週刊ポスト』のインタビューで「子育ては植木を育てるのと同じ。」と語っていました。
「子育ては植木を育てるのと同じ。私は放任主義でしたが、完全に放ったらかしたわけではない。
1本の木を育てるには、土壌、肥料、日光、水などに気をつかってやらないといけない。
愛情もいるし、あと剪定も必要。土壌が両親としたら、肥料は食事、水は愛情で、日光は環境。
そして、剪定はしつけです。剪定はやらないといけないが、やり過ぎるのも問題。
枝の剪定にも、切っていい時期といけない時期がある。褒めることと叱ることの使い分けが
子育てには大切だと思います。水(愛情)をやり過ぎても根腐れしますしね。(週刊ポスト)
なんとも植木職人らしいですね。
合気道の先生も?
また新庄英敏さんは合気道の先生もしていたようです。
Twitterではこんなエピソードも語られていました。
(夕刊フジ)
合気道の先生をしてたお父さんに、小学2年生の時に頭が痛くて頭痛の薬を頂戴とお願いしたところ甘えるな💢 しかし数秒後に今日だけやぞ と薬をくれた
喜んで薬を飲んだら2分で頭が痛いのが治った
お父さんに有難うと伝えたら、剛志 人間気持ちばいその薬は下痢止めだった
— 新庄剛志 (@shinjo_freedom) November 23, 2021
頭が痛いといっている息子に下痢止めを渡すお父さんもなかなかですが、それで治ってしまう新庄剛志さんも天然です。
まさに気持ちが大事であることを伝えたかったのでしょう。
新庄剛志の母親のエピソードは?
メディアによく登場していた父の英敏さんと違い、テレビなどでめったに顔を出すことのない母・文子さん。
こちらは貴重な母・文子さんの写真です。
(夕刊フジ)
やはり新庄剛志さんはお父さんに似ているようですね。
新庄剛志さんは前述した『わいたこら。』で母・文子さんについてこのように記していました。
母ちゃんは気が強くて、感情の起伏が激しい。破天荒であけっぴろげな性格の親父とは何かと衝突していた。ある晩、親父がいつものように飲んで帰ってきて、「おい、起きろ!」と言いながら、布団に入っている母ちゃんをちょっとだけ蹴った。飲んで帰って、いきなり「おい、起きろ!」はないもんだ。母ちゃんも、それまでにいろいろな鬱憤がたまっていたんだろう。
急にガバッと起き出したかと思うと、台所に行って包丁を取ってきた。どうするのかと思っていたら、大声を上げて、そのまま躊躇なく親父に向かって突っ込んで行った。
包丁を持ってお父さんに突っ込んでいくとは、新庄剛志さんのお母さんはかなりパワフルな方だったのですね。
結局合気道をしていたお父さんが押さえ込んで、次の日からおとなしくなったのだとか。
派手な印象の強い新庄剛志さんと反対に、派手なことを好まない性格だったという母・文子さん。
破天荒なお父さんといい相性だったのでしょう。
素敵なご両親に恵まれた新庄剛志さんの今後のご活躍が楽しみです。
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