伝説的なロックバンドとして今なおファンが多い「BOØWY( ボウイ)」。
しかし、人気絶頂の1988年に解散しています。
今回は、BOØWYの解散理由・再結成しない理由が氷室京介さんと布袋寅泰さんの不仲という噂や吉川晃司さんとの不仲説などについて調べてみました。
BOØWY・ボウイの解散理由・再結しない理由① やりたいことをすべてやった
人気絶頂で解散
「BOØWY」は、1981年に氷室京介さんと布袋寅泰さんを中心として結成されたロックバンドです。
1986年の「わがままジュリエット」でブレイクすると、一気に人気バンドの仲間入りを果たします。
そんなBOØWYですが、わずか2年後の1988年4月5日に解散。
当時、公式からはっきりとした解散理由は発表されませんでした。
その後、2019年にBOØWYのメンバー3人が再結集して、布袋寅泰さんのアルバム「GUITARHYTHM 6」のために新曲「Thanks a lot」を制作しましたが、そこに氷室京介さんの姿はなし。
(スポニチ)
2023年8月現在に至るまで、完全体での再結成はされていません。
一体なぜ人気バンドであるBOØWYが解散してしまい、未だに再結成されないのでしょうか。
ここからはネット上で囁かれている解散理由や再結成しない理由などの噂について見ていきましょう。
解散理由はBOØWYの活動をやりきったから?
まず1つ目の理由は、BOØWYとしてやりたいことをすべてやったからです。
1983年に発売されたセカンドアルバム「INSTANT LOVE(インスタント・ラヴ)」の頃に行われたインタビューでは、4人全員が以下のようなことを語っていたそうです。
(https://www.amazon.co.jp/)
「俺たちの夢は日本一になることとか、武道館でやることとか、そんな具体的な形じゃない。もちろんそういう事も含まれるけど、俺達はBOOWYというバンドで、やれるだけのことをやりたい。やれるだけのことをやったら、その瞬間にでもBOOWYは解散すると思うよ」(BOOWY B to Y)
また、布袋寅泰さんが「僕らの夢は解散」と語っていたこともあるのだとか。
そのため、BOØWYとしてすべての活動をやりきったと感じたため解散し、やり残したこともないため再結成もしないのではないでしょうか。
これが本当だとしたらかなり潔いですね。
BOØWY・ボウイの解散理由・再結しない理由② 氷室京介と布袋寅泰の不仲
結成時から仲が悪かった疑惑
2つ目の理由は、氷室京介さんと布袋寅泰さんの不仲です。
(布袋寅泰インスタグラム)
解散前、氷室京介さんと布袋寅泰さんは、一部週刊誌などで不仲説を何度も流されていました。
実際に布袋寅泰さんが、1987年の雑誌のインタビューで、
「長い間、バンドのなかでヒムロックが一番嫌いだったよ。性格にしても『リーダー格になりたい』って所だけが同じで、あとはほとんど違ったし」
「彼が、俺に歩み寄ろうとすると俺が逃げるし、俺が歩み寄ると向こうが逃げた(笑)」
と語っていたこともあります。
(朝日新聞デジタル)
また、1987年12月25日号の「フライデー」では、氷室京介さんも、
「組んだときから仲はもともと悪かったですからね。ライバル意識というよりは、まったく違うキャラクターだったから…」
と語っていました。
そのため、BOØWYの解散も2人の不仲が引き起こしたのではないかと囁かれたのでしょう。
お互い不仲説を否定
しかし、先述のインタビューの主旨は「相反する人間同士でもだんだんとかっこいいと思うようになった」といったものでした。
(https://prcm.jp/)
また、1987年11月8日の「デイリースポーツ」で氷室京介さんは、
「よく雑誌でさ、俺と布袋はライバルとか言われたり、書かれ方をしてたけど、俺は布袋をライバルなんて思ったこと一度もないよ、そこがソロとバンドの違いだと思う。バンドの中のメンバーをライバルだと思ったら、バンドってその良さが絶対でないと思うんだ」
「俺はやっぱり布袋を最高のギタリストだと思った」
と不仲説を否定しています。
(ツイッター)
一方、布袋寅泰さんも、解散後のラジオ番組で、
「二人の間に確執があったかって?そんなものはないし、俺は氷室を嫌いだと思ったことは一度もないね。ヒムロックが大好きだったよ。考えてみてくださいよ、嫌いな人の隣で毎日、毎日ギターを弾けるわけがないじゃないですか」
と語っていたそう。
このように双方が否定しているため、不仲が解散理由だった可能性は低いのかもしれません。
BOØWY・ボウイの解散理由・再結しない理由③ 方向性の違い
海外志向の強かった布袋寅泰
3つ目の理由は、方向性の違いです。
当時、布袋寅泰さんは、かなり海外志向が強かったようです。
(ビルボード・ジャパン)
メンバーの松井常松さんの著書「記憶」の中で、
「海外で自分の可能性を試してみたい、いつかデヴィッド・ボウイの横でギターを弾けるようになりたいんだ」
と布袋寅泰さんに言われたと綴られていました。
そのため、BOØWYを大切にしたい思いが強かった氷室京介さんとは方向性が異なってきてしまったのではないかと言われています。
BOØWYのアイドル化に懸念
また、全盛期のBOØWYはアイドル的人気が高まり、その中でもフロントマンの氷室京介さん目当てでライブに通う女性が急増したよう。
(文春オンライン)
氷室京介さん+バックバンドのような状態になり、自分たちの必要性に疑問を抱いてしまうメンバーもいたと言われています。
特に布袋寅泰さんは、1986年12月発売の「ROCKIN'ON JAPAN」で、
「ステージでギターを弾いてる時に女の子にキャーキャー言われるのって心外に思う。最近特にひどい状態だしさ。みんなギター聞いてないんじゃないかっていう状態だし。それはすごくバカバカしいことだし、そんなやつらのためにやってないってでかい声で言えるしさ」
と不満を漏らしていたそう。
そのため、純粋にロックをやりたいのに、アイドルのような方向性になってしまった状況に耐えきれず、解散を選んだ可能性もあるのではないでしょうか。
BOØWY・ボウイの解散理由・再結しない理由④ 山下久美子
山下久美子に熱を上げていた布袋寅泰
4つ目の理由は、布袋寅泰さんと歌手・山下久美子さんの関係です。
(産経新聞社)
1985年8月、布袋寅泰さんは当時人気歌手だった山下久美子さんのアルバム「BLONDE」のレコーディングに参加します。
そこで仲を深めて交際に発展。
その後、布袋寅泰さんは山下久美子さんにどんどんのめり込んでいったのだとか。
当時はBOØWYそっちのけで、山下久美子さんのプロデュース業をしていたと言われています。
そして1986年1月27日に、2人は結婚。
(週刊女性プライム)
公私共に強い絆で結ばれる事となりました。
氷室京介だけ除け者に
そして、ある件でバンド内の確執が決定的になったと言われています。
山下久美子さんのアルバム「1986」レコーディングには、氷室京介さん以外のBOØWYメンバー(高橋まこと・松井常松)がサポートミュージシャンとして加入しました。
(ツイッター)
その後も、布袋寅泰さんと松井常松さんは、山下久美子さんの楽曲制作やツアーのサポートを続けます。
しかし、高橋まことさんは複雑な思いを抱き、サポートには参加しなくなりました。
その時のことが、高橋まことさんの自著「スネア」に綴られています。
松井も同行した久美ちゃんのツアーに、実は俺も誘われていた。久美ちゃんのプロデューサーがわざわざ俺一人を呼び出して言うには、「まこっちゃんにドラムを叩いてほしいと布袋が言っている」ということだった。それではBOOWYの4分の3がツアーに参加することになってしまう。まるで氷室を除け者にしているようで、いくらなんでもまずい。
そこで高橋まことさんは、事情を直接氷室京介さんに伝えたのだそう。
すると「来月解散しよう」という話になったのだとか。
噂ではなく実際にBOØWYのメンバーからこのエピソードが公表されたことで「そんな理由で解散したの?」「実態はこんな程度の話だったのか」といったコメントが溢れました。
布袋寅泰さんは2006年に自著「秘密」で、BOØWYの解散理由について「墓場まで持って行く」と意味ありげに綴っていたため、余計にファンは拍子抜けしてしまったようです。
この解散理由が本当なら、BOØWYが再結成しないのも仕方ないのではないでしょうか。
布袋寅泰は吉川晃司とも不仲?
布袋寅泰と吉川晃司でCOMPLEX結成
布袋寅泰さんは、氷室京介さんだけではなく吉川晃司さんとも不仲だと噂されています。
1988年12月10日、布袋寅泰さんは吉川晃司さんとユニット「COMPLEX」を結成しました。
2017年6月4日の「エキサイトニュース」によると、もともとは同じマンションに住み、一緒にハワイ旅行に行くほど仲良しだったという2人。
BOØWYの解散と、吉川晃司さんの事務所独立に合わせて、新ユニットを組んだのは自然の流れだったのでしょう。
音楽性の違いで不仲に
デビューと同時にブレイクしたCOMPLEXですが、そのわずか1年半後に実質上の解散となってしまいます。
解散理由は「音楽性の違い」とのことでした。
(フェイスブック)
海外にも通用する音楽を目指し、デジタル技術を多く導入したかった布袋寅泰さんと、あくまで生バンドの魅力にこだわったアナログ志向な吉川晃司さん。
組んでみたらまったく価値観が異なった2人の溝はどんどん深まっていきます。
ファーストアルバムツアー「COMPLEX TOUR'89」の打ち上げでは、殴り合いの喧嘩に発展したという噂も。
吉川晃司さんは当時を振り返り、
「(布袋とは)組んでみたら最初から全然感覚から何から違っていて、最後のアルバムを出すときには“もう勝手にやって”という感じだった」
と語っています。
一方の布袋寅泰さんも、「商業的な成功以外、何も得るものがなかった」と漏らしていたのだとか。
(https://plaza.rakuten.co.jp/)
さらに、自著「よい夢を、おやすみ。」では、
「解散したところで以前のような友情は戻らないだろう」
とまで綴っています。
そのため、布袋寅泰さんと吉川晃司さんの不仲は事実だった可能性が高そうです。
震災を機に復活
そんな不仲になってしまった2人ですが、2011年3月11日に東日本大震災をきっかけに、2日限りの再結成をしています。
(スポニチ)
双方の公式サイトの発表によると、吉川晃司さん側から、
「いつかCOMPLEXをやろうと話したこともあり、ならば今しかないだろう」
と布袋寅泰さんに持ちかけたそうです。
布袋寅泰さんは当初ためらったそうですが、朝の公園で2人で話し合い、最終的には「やろうぜ!」と堅く握手を交わしたのだとか。
そうして、同年7月30日・31日に、東京ドームで「日本一心」を決行。
延べ10万人を動員しました。
不仲と噂されていた2人が再び縁を結んでくれたため、ファンも嬉しかったのではないでしょうか。
ここまで、BOØWYの解散理由や再結成をしない理由、布袋寅泰さんと吉川晃司さんの不仲説などについて見てきました。
今後もそれぞれの活躍に注目です。
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